前回の続き。私が、日本人や外国人の観光ガイドしながら実感すること;

1瀬戸内観光の特長
 瀬戸内海国立公園は、日本で最も広大で、その中には、雄大な絶景も、歴史も、文化も芸術も、ユニークな観光資源が一杯揃っていることである。
アップ多島美に象徴される瀬戸内風景にはには、広いオープンシーあり、大小様々な複雑な島型に挟まれた湖状の景色も、深く入り込んだ鏡の様な入り江も、白砂青松のビーチも数多ある。大河の様に流れる瀬戸は豪快に渦巻き、季節がくると島々の山肌は桜花に包まれ、みかんが実り、沖ゆく船舶や遠景の島々は海面上にくっきり浮き上がる(浮島現象)。ぎらぎら輝く海原を大小様々、色とりどりの船舶が好き勝手に行き交い、や漁船群がたむろする。七重八重に重なる島々の背後に夕陽が沈む頃には、空も海も山肌も異様な赤金色に染まり、やがて工業地帯の明かりが煌々と海面上に揺らぐ。そんな光景の真っただ中をクルーズ船から、小高い丘から、バスの車窓から眺める。 
アップそれに歴史を合せると、かつては遣唐使船が通い、水軍系氏族が支配し、戦国武士たちのの合戦上となり、北前船が行き交い、浜一面に広大な塩田が拓かれていた。やがて気帆船や、大型動力船に変わり、港湾施設も着々と増強され、さらには軍艦が大挙集結する海域となり、戦後はまた全く新しい歴史の跡が残されている。歴史と共に人々の生活や文化の変遷の足跡や文化遺産も各地に残されている。

2瀬戸内観光作戦
そんな情景や、歴史文化を如何に効果的、迫力的に観光客に伝えるか、それが瀬戸内作戦の真髄だと考える。それが成れば瀬戸内海は、日本中のどこにも負けない観光地に成り得るだろう。
アップしかし、他の陸上観光地に比べて《決定的な弱点がある。それを考えないで推進しては絶対に勝てない。
それは域内を移動する手段が決定的に弱いことと、域内が広すぎて一回の周遊では全体的な魅力は評価されないことである。
アップしかし過疎に喘ぐ島々に、船便もバス便の増発は至難の業である。レストランやホテルも立地密度、規模とも内地には勝てない。だから瀬戸内旅行(周遊)は中々実現しない。 特に個人旅行が主の外国人にとっては、例え来訪しても、せいぜい瀬戸大橋かしまなみ海道、または船で素通りするに過ぎない。”象”に例えれば足一本を見学して帰国する状態ではフェイスブックや、ツイッターを炎上するにも限度がある。

3瀬戸内観光ハブシティー構想
しかしそんなことが理解されれば、《瀬戸内観光作戦》の方向性は自ずと定まってくる。つまり以下が、私の考える《瀬戸内観光作戦》である。
アップ瀬戸内海エリアの要所にハブシティーを創り、それを核にして周辺エリアとのストーリー連係(周遊コース)を考える。それが成れば、ハブシティ相互間でももっと大きなを目指す。交通(移動)手段は内陸並みの増強は不可能だから、その代り《ツアー業者》と組んで、「主催旅行やオプショナルツアーなど」団体旅行化に力を入れる。瀬戸内海(広域)魅力を伝える為、各々のツアー連係(シリーズツアー化)して、(連続長編小説を一巻づつ読み通す要領で続きは次回のお楽しみ」として再来訪を促す。そんなガイドツアーに力点を置く・・・そんな作戦である

4瀬戸内海を巡る主催旅行は現状でも、沢山の旅行会社から、様々な旅行企画で催行されている。しかしそれは殆ど全部が「単編完結型」の為、瀬戸内海の《全体的な魅力》は伝わらない、それに特に外国人には、利用できるツアーさえ殆ど見当らない。
それが現状との相違点であるが、私の「
瀬戸内観光ハブシティー構想」も、いざ提唱してみると中々一筋縄にはいかない。それについてはまた次回に回す。

 
 私が、日本人・外国人双方に観光ガイドしながら実感することだが、
1.広島と宮島のセット観光は、京都や大阪から新幹線で日帰りできる。それは両世界遺産が相乗効果になって大勢の観光客(特に外国人)が殺到する。しかし折角近くに来ても、呉にも立ち寄るには【+1泊】が必要になる。
 しかし今では、辺鄙な山奥まで魅力スポットが大量増産され、しかも日帰り圏もがっているのだから、それらに負けない魅力発信をなくしては、訪呉する理由が立たない。
要するに訪呉観光客が少ないとすれば「魅力発信の負け」と認めるべきである。さもなければ未来永劫進歩はあり得ない。
 否、これは呉に限った話ではない、ここでは私に縁のある ”呉” を 例としてな話をすすめるが、呉以外の何処の地域でも応用問題として考えて欲しい。 
2.これに対し、私は『呉=瀬戸内観光ハブシティ構想』を提唱している、つまり
「広島=宮島=トライアングルルート」や、「広島・宮島・=しまなみ海道=尾道ルート」、「宮島・広島==しまなみ海道=今治・松山ルート」、or「広島=呉=竹原・大久野島=三原・尾道ルート」等、周辺地域連係を考えれば、「瀬戸内絶景物語」も、江戸時代から近代までの「歴史風俗物語」や、「日本海軍(鎮守府)物語」や、「日本遺産物語」等々スケールの大きいテーマストーリーは幾らでも描ける。それに沿って観光客を誘導し、一度には周遊し切れない所には、テレビドラマの続きを見る様な感覚の《シリーズツアー化して》リピーターを促すそんなガイドツアーが実現すれば、来訪理由ができその何れかに宿泊する。
3.しかし、旧呉市内、御手洗、音戸、江田島とか周辺各地の観ボラや、街興し団体や、行政当局も、来訪客へのおもてなしには意欲的に熱心だが、(正義感の強い)古いタイプの地元愛者には、外部の観ボラ等が来て下手に案内したり、自らも地元外で活動することもタブー(縄張り状態)になって中々 らちが明かない。、
 それならツアー業者などと推めるべきか・・・、次回は、瀬戸内事情(観光地として有利な点や弱点)考えながら、瀬戸内観光作戦を考えていきたい、

1先日、若い学生たちに、外国人に対する観光ボランティアガイドについて話をした。
最初は「日本遺産について」だったが、「地理や日本の文化等も含め、視野を広げた話しが良い」と言う希望が加わったので、外国人客へのガイドで、私が現在KNOW-HOWにしていることがメインになった。
2しかし多くの観ボラのガイドを見ると、郷土愛とか、社会奉仕とか言って、内実は狭いエリアの”自己紹介”の様なことを、得意気に説明しているだけ。それでもお客様は「そうですか、珍しいものがあるのですね」と褒めてくれる。だから気を良くして続けている・・・それが現実だ。
しかし少しでも好奇心や進歩欲のある人には、そんなことを何年もただ働きできるる筈がない。
3私は、外国人でも日本人でも『お客様との接点は《知識や情報の宝庫』だと考えている。
つまり、様々なお客様から色々な最新情報や・珍しい知識を得ることができる。お客様にも、呉(周辺)について沢山の好奇心や再発見を促し、一回で見学できなかった所への再来訪を促すことで、互いに利益共有ができる。 私はそれが魅力だから、だからボランティアガイドを続けている。
4しかしお客様に単に観光ガイドをしても、そんな情報や知識が得られるものではない。私なりに培ってきたガイドテクニックを、学生たちに披露することも、楽しみのひとつだ。
私程度の英語能力の低さで、日本歴史・文化を外国人説明するテクニックなどとも併せて話し合っていきたい。

1私たちは観光ボランティアとして、地域観光に関する研修やセミナーを聴講する機会は結構多い。 主催者は行政(県・市など)、もしくはそれに準ずる外郭団体の場合が多い。 そのカリキュラムは大学の先生とか、その道の講師が招かれ、講演、又はパネルディスカッション形式で進められるのが普通である。
その内容については大体のパターンがあって、
 先ず、訪日観光客数の増加動向の《統計》が示され、次に特定地域の《成功事例》などが示され、それを③当該地に当てはめて《当該地観光戦略》などが提案され、最後に質疑応答で聴衆の関心が頂点に盛り上がる。
 聴衆は全員、何らかの形で観光に携わる人だから、アンケートで、皆さんが満足すれば大成功・・・かも知れない。

2然し、偉い学者先生の理論と、 日常ダイレクトにお客様とする私たち観光ボランティアが最も肝要と感じるポイントには、焦点のズレを感じる・・・。 つまり、
観光客誘致は、事実上【熾烈な地域間競争】だ、ということを言わないで・・・、
 訪日客の急増見通しや、成功地の事例説明をするのでは、努力すれば全員が勝ち残れるという安堵感を与える。しかし「全地域の成功はあり得ない、競争に勝たねば観光客は誰も来ない」という危機感は伝えないから、主催者にも聴衆にも真剣に取組み意欲は起こらない
それに観光作戦の《推進母体》 に関する、話しは一切触れないから・・・、
 聴衆は、セミナーに興味はあっても、彼らは皆、個々の事業や、プライベート興味でしかない。主催者も、セミナーを開催したことが実績で、その後のフォローは誰も考えない。

3つまり、地域観光は《競争市場》であるが為の危機感と、誰が主体で、どんな仕組みで、どう取り組むのが良いのか・・・《船頭 のあり方》については、一切取り上げないから、折角のセミナーも、参加者の自己満足以外、作戦行動には繋がらない。


 観光振興に携わる人は、行政も、観光ボランティアも、街おこし団体も、往々にして観光客誘致(インバウンド観光)しか考えない。 
しかしインバウンド観光客に、私たちが幾ら心を籠めて "おもてなし" と言っても、それは来訪客の 1%にも満たない。 しかも、彼らが帰郷した後、 "呉" のPRをして、再来訪(リピーター)が実現する確率よりも、呉市民が全国を観光(アウトバウンド)しながら "呉" の話しをする方が遙かにPR効果が大きい。
 アウトバウンドの人数は、基本的にはインバウンド客とほぼ同数の筈だ。
 本気で呉観光振興を考えるなら、呉にゆかりの深い住民が全国に出かけてPRの要員になる様に、教養講座(セミナーなど)や観光興味啓発することをもっと考えるべきである。

 ◆ 呉周辺観光の魅力と、PR作戦
 広島・宮島には大勢の外国人観光客が来訪する。 しかし呉周辺まで足を伸ばす人は少ない。 それは事実としても、外人客は『京都や大阪から日帰りが多いから・・・』と、簡単に地理的条件を言い訳にするのは時代錯誤の感が拭えない。 今や全国各地で熾烈な誘客合戦が展開され魅力スポットは激増している。 加えて交通機関も急発展しているので、全国各地はほぼ同列条件競いあっている。 来訪客が少ないのは何処か別な所に行っていると考えるべきだろう。

  http://kure-sight.perma.jp/kure/p_lis31.gif◆ 現に「広島-宮島-呉のトライアングルルート」や、
 「広島・宮島―呉―しまなみ海道ルート」や、もっと「環広域エリア(広島―JR呉線―しまなみ海道―今治・松山―宮島)ルート」等にエリア範囲を拡げれば、呉近辺だけでも江戸時代から近代までの歴史風俗物語や、瀬戸内景観物語、日本海軍や鎮守府の物語、日本遺産の物語・・・等々、呉周辺は第一級観光地として、スケールの大きい大河ストーリーや誘客材料は幾らでもある。
 だから、彼らが日本の旅行を考える時点で、呉周辺もターゲットになる様に「魅力のPR不足」を問題にすべきである。





ラーメン ”おさんぽクルーズは、”呉~江田島港往復フェリー(乗船時間≒45分)に乗船して、呉湾の風景を眺める企画で、毎日 呉発 8:35~18:10 に計9便運航されている。この中で毎日曜 12:20、14:22 の2便は、私たち観光ボランティアが見どころガイドをしている。
殆どのお客様は、呉(やまとミュージアム、海軍史跡)を見学後、呉湾の風景も楽しもうとして乗船する。
しかし話が呉;海軍歴史や、江田島;兵学校などに触れると、お客様の興味は、風景よりもそりらに向いてしまうことが結構多い。
一般のお客様の殆どは、海軍兵学校とか、東郷平八郎とか秋山真之とか日清戦争や日露戦争とか(単語としては)聞いている。 しかしその意味も、何時、何処で、何をした人か、呉や江田島の関係等、つながり(輪郭)は殆ど理解されていない。
やまとミュージアム”を見学して来れば、一応は分かっている筈だが・・・、しかし、
予備知識をもたず、いきなり入場して、限られた時間に、膨大な資料を前にして、解説ビデオもみて、理解できるお客様は無に近い。
例えていえば、「象の鼻を見ました、足も見ました、尻尾も見ました」と言う状態で、象の輪郭を殆ど理解されていない。
 だから、私たちが「足は4本あって、胴体もあって、鼻や尻尾の位地関係は・・・など」少しアウトラインを補足説明すれば、お客様の頭は急に蘇って興味津々となるケースを何度も経験している。
そして(おさんぽクルーズが)江田島下船できないことを残念がったり、”やまとミュージアム”をもう一度 見学し直そうと言う人さえいる。

ラーメン但しそれは、呉~江田島フェリー内(おさんぽクルーズ)ガイドでの例である。
ここでの提案は、次の2点を基本とする観光客誘導方法である。

見聞領域も印象も魅力も倍増する為、
  一回の見学チャンスで、複数か所が 合せて見学できるよう便宜を考える。
迫力も増大効果を計る為、
  する観光ガイド方法は、それぞれの箇所毎バラバラでなく、客の頭の中に
  一連の繋がり(ストーリー)がつく様に工夫してガイドする。

ラーメン それには、「呉海軍史跡~江田島(兵学校)」の組合せケースでは、現地ガイドフェリー船内を利用してガイドもできれば最適だが、(その他のケースは応用問題)と考える

イメージ 2 イメージ 1
イメージ 3 






 1明治時代日本は、太平の眠り、つまり”平和ボケ状態”から目覚めると、欧米勢による奴隷化攻撃に晒され、同時に進んだ文化や諸制度の採り入れも喫緊の課題となっていた。しかしそれは莫大な労働力・兵員・糧食・資源・資材・・・経費が必要だし、当時の国民は生活を最大限外犠牲にして懸命に働いてもとても賄えるものではない。
 賄えなければ先進文化や制度輸入ができないばかりか、奴隷制度に呑み込まれてしまう。勿論欧米とは色々な折衝機会はあっただろうが、究極的に日本の選んだ道は朝鮮半島と中国(当時は”清国”)への侵出だった。

 2そうと決まれば、明治政府は”富国強兵”を旗印にして、世界的にも奇跡的な速度で突っ走った。
それは鉄道、軍需工場、鉱山・炭鉱開発、発電所やダム建設等のインフラ整備、及び技術者や専門官も派遣して政治、警察、銀行、教育、軍事などありとあらゆる技術や制度を採り入れ、”文明開花”と”強兵化”への道を一挙に開いた。
それは日清・日ロ戦争に勝利し、日本全土の建設工事や炭鉱労務には朝鮮半島から大勢の徴用工を確保し、食料にも助力となり、近代日本を築く大柱になった。

 3軍事的には攻撃面はともかく、防御面でも(当時航空機のない時代には)瀬戸内海の島々には沢山の砲台が設けられていた。中でもこの近辺には①日本海軍の最重要基地である呉鎮守府と海軍工廠、②陸軍でも”広島鎮台”が置かれており、海上攻撃の際は必ず通過する拠点だけあって、”三高山砲台”は規模の最も大きいものだったという。

 4文化財として保存にはかなり手が加えられているのに対し、残念なのは観光などで訪れる客が殆どいないこと・・・。
砲台跡は方々にも遺っているが、草茫々や土砂に埋まりきちんと管理されているものは数少なくなっている。
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5
(見学2017-12-16)
私は、呉~江田島両観光ボランティア間での”有志交流”を提唱している。
目的・理由は、観光ボランティアは《おもてなし》とか何とか言っても、限られた地域を誠心誠意ガイドするだけでは大して観光振興にはならない。
観光振興の勝負は、
◆第一は、観光地としての『商品価値』が高くなければ誰も来訪しない。つまり観光客の許容条件で『如何に変化に富む沢山の見所を、如何に多く楽しく、如何に効率よく、印象に残る周遊見学ができるか』である。
◆第二は、『ストーリー性』である。いくら沢山見学しても、(例えば、象の足をみた、鼻もみた、しっぽもみた)というのでは迫力もない。見たものから、活き活きした象が、脳裏に描ける様に、観光ボランティアのガイド説明が必要だ。

それを一市町単独でやるのでは、所詮スケールは限定的で、大した観光魅力にはならない。
複数の市町村がチームを組み、見所の組合せや地理的条件を考え、観光客が、複数の観光スポットを、要領よく周遊できる、観光ルートを整備すること・・である。
連係相手については、互いの交流経過、地理的条件、ストーリー性等を考慮し、呉~江田島観光ボランティアの連係を提唱し、今回は江田島にある【三高砲台跡】他を見学、案内して貰った。
  イメージ 1 イメージ 2
 
               ↑  三 高 砲 台 
 


 1『私たち観光ボランティアの思いが中々行政に伝わらない』という話をよく聞く。
それは私たちだけではない。 全国 8~9割の市町村ではボランティアが一生懸命頑張っても『くたびれ儲け』 にしかなっていないのが実態だろう。
 2しかし次の条件さえ揃えば、名もない新興地が急速に来訪客で悲鳴があがるぐらい盛り上がるケースが方々で見られる。世の中はそんな時代に変っているのは紛れもない事実だ。
その条件とは、
)(温泉とか、風景とか)旧来感覚の観光資源だけでなく『周辺地域の色々なテーマ資源との複合(相乗)効果による観光価値UP』 が必須条件であること。
◆2)【その発案及び実行】には必ず『住民(ボランティア)パワー』に主要な役割を担っていること。そうでないと観光振興経費などはとても賄えない。 

 3所が、『行政当局も、観光協会や関連事業者も、ボランティアグループ役員やメンバーも、世の中の変化に気が付いていない。若しくは《現状満足派》は変化(既得権などの変化が伴う)を好まない。 しかも時代遅れした固定観念で『ボランティアは・・・基本的に雑用係にすぎない』と決め込んでいるから、私たちボランティアが何を言うにも、その機会すら与えられない。 それが全国 8~9割の市町村の実態だろう。
 4 しかしそれは、行政当局側だけの問題ではない。私たちボランティア側も、周辺地域のボランティアグループ(複数)と連携しスクラムを組んで、勉強会なども活発化して、私たち自身の視野拡大及びレベルUPを計り、少しづつでも実績(少なくとも私たちの意気込み)をアピールしなければ世間への発言力は生まれない、要するに現状は変えられない。

 5要するに、観光の振興・活性化は、当該地域ボランティアグループの『自覚と意識と熱意、それに必要な能力レベルUP』が《カギ》になる。それを考えず、ただ誠心誠意お客様にガイドするだけでは、世の中から取り残されるだけだろう。