他の掲示板での書き込みついて-私からの意見 | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

このブログで当方がアメンバー承認させて頂いたある方から、ほかのJW系の掲示板において、以下のような書き込みがありました。

特に気分を害するとか、ましてや怒るとかということは全くないのですが、私の考えを書くべきと感じましたので、書かせていただきます。

 

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【書き込みコメント内容】

みなさんこんにちは 元証人の IM「どせい」さんのブログです すでに読まれたり書き込みされているかたもおられると思います 現役弁護士さんらしく本当に協会を訴えるつもりのようです 現時点では ムチ問題、輸血拒否問題、高等教育否定の問題、忌避問題などでアンケート等で情報を集めてそれで訴えを起こし社会の多くの人にもこうした問題があることを知ってもらおうとするもののようです

 

それでみなさんのアイデアや意見も取り入れたいとのことでしたので IMさんのブログのコメントにもかけますけど書きにくいのでこの掲示板に書いてIMさんにみてもらおうかなと思いました

 

それで自分の意見としては

 

ムチ問題、については協会は子供たちに適切なこらしめ 矯正をあたえることは聖書のさとしでもあるし必要だと思うが 親に棒や物理的なムチなどでたたくようなことはすすめておらず 各信者さんが勝手にしていることだと言うと思います

 

輸血拒否問題、についても聖書は輸血をさけるようにと自分たちは理解しているが「何を信じるかは宗教の自由というと思います」信者さんには強制はしていないと言うと思います

 

高等教育否定や忌避についても大学進学などは禁止していないし信者でなくなった人を避けるように指示はしていないといい信者さんが良心的に決めていることだというと思います

 

あとこうしたことを訴えたとしても協会は親や会衆の個々の人たちが勝手にしたことだと責任転嫁するでしょうし訴訟となるとものみの塔の責任を追及するのはむずかしいのではと思いました cry

 

それでIMさんの貴重な残りの人生の時間を不必要にとられすぎないようにされたらよいのではないと感じました「いや自分のやるべきことはこれしかないとお考えなら別に反対することはまったくありません」

【引用以上】

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私としては、この方に善意でこの文章をお書きいただいたものと解釈していますが、真実と全く反する内容が書かれており、私自身の考えについて大きな誤解が生じる恐れがあるため、私の考えを書かせていただきます。

 

1.まず、そもそも論ですが、私は「本当に協会を訴える」という考えを書いたことはありませんし、通常の判断能力で読まれた場合にそのような印象を与える文章も書いてはいません。

誤解を与える文章であったのかもしれないと思い読み返してはみましたが、この点は確信をもって言います。

 

また、私は「本当に協会を訴える」ということを考えたことは今までありませんし、これまで様々な場所で発言をしてきましたがそうした考えを表明したことも推奨したこともこれまでないと考えています。こと今回のブログでは、そのような内容は全く書いていません

 

ですので、この方の書かれた文章の、「私が本当に協会を訴えるつもりである」という内容は完全に真実に反していますし、その土台が真実に反している以上、その間違いに基づくその後の文章について、特に私のほうで考えや反論を述べる必要はないものと考えます。

ただ少しだけ言及をさせていただくなら、こちらの文章の第4文、5文、6文はそのとおりであり、しかも誰しもがすぐに思うことであり、「そのような状況の中でどうしてゆくか」ということこそを、様々な検討や経験をもとに自分の考えを書いたものです。

 

2.次に、弁護士にもいろいろな仕事の分野がありますが、私自身は、自分では、訴訟も含め切った張ったの法的闘いの最前線にこれまで10年以上いたつもりですし、自分自身が人権擁護委員会等で採決を出す側にいたこともあります。

そのことで何を言いたいかというと、人の人生や生き方に関わる問題というのは、その問題を扱っている最中も非常に広い視点から様々な人の利益・考え・感情を考慮しなければいけないですし、その後に結論や解決に至った後であっても、引き続き、関係する様々な人への影響を考慮しなければいけないものである、そしてそれは極めて重要なものである、と考えています。

 

したがいまして、私は、私のブログの中で、何か拙速な方法を提案したり強く推し進めて来たつもりは毛頭なく、「エホバの証人問題」に対応するための様々な方法を模索することの必要性と、それを考える上での、単なる例としてのたたき台をいくつか提示し、その点についての読者の方のお考えを広く募っていたところです。

ですので、なぜ、「私が本当に協会を訴えるつもりである」との結論に至られたのかが私にはわかりませんし、そのような趣旨にとらえられる文章を自分が書いたとも考えません。

 

3.この方が紹介されたブログというのは、もちろん私が利用しているこのアメーバブログですが、「エホバの証人問題を考える」という一連の記事は、比較的詳細な自己紹介をしてくださり、承認された人しか読めない「準非公開の設定」(つまりアメンバー限定記事)にしてあります。

この方が念頭に置かれているで間違いないであろうこの一連の記事は、様々な理由から「ほかのところで公開しないでいただきたい」と前書きしてスタートした一連の記事です。確かに、一度、手直しして短期間の間、公開記事としたことがありましたが、数日のうちに再度準非公開にしました。それには様々な深い理由があります。

一連のその流れを見れば、合理的な判断をすれば「公開を望まないものである」ことは容易に理解できるものであると少なくとも私は考えるのですが、その内容にほかのサイトで言及され、しかも、私が書いた趣旨とは根本的に異なる内容で紹介されていることは非常に残念なことであるとしか言えません。

 

4.私自身を含めてのことですが、そして広い意味での一般論ですが、エホバの証人の人や元エホバの証人の人は、「自分の善意」から何かをする方が多いです。しかし、「エホバの証人時代に善意からしていたことが大きく間違っていたことである」と感じる人は多いのではないかと思います。そしてその原因は、真実ではないことについて、自分が誤った確信を持ってしまい、それを広く人に伝えたことが原因である、と感じる人は多いのではないかと思います。

また、これもまた私自身も含めてのことですが、「自分の視点で何かが正しい」と思ったときに、それに関係する全ての人、利害関係が異なる関係者すべての考え・感情・状況を必ずしも十分考慮せずに行動に移すことにより、思わぬ仕方でほかの人に害を与えてしまう傾向がエホバの証人時代にあった、或いはエホバの証人をやめた後も残っている、ということがありがちではないかと考えます。(これはエホバの証人関係者だけに限らず、世間の多くの人にもそうした傾向はあるかもしれませんが。)

自戒を含めてのことですが、エホバの証人経験者であればみなこうした点に留意することは必要ではないかと感じることがあります。

 

5.「IMさんの貴重な残りの人生の時間を不必要にとられすぎないようにされたらよいのではないと感じました「いや自分のやるべきことはこれしかないとお考えなら別に反対することはまったくありません」とお書きいただきましたが、これはありがたいお言葉です。

実際に私は、私が考えた通りのことをやり抜くつもりです。

それは、自分自身のためです。

そして「自分自身のため」というのは、今もエホバの証人問題に苦しんでいる人たちのために何かをしたいからです。

それをすることで自分には全く利益はありませんし、むしろマイナスしかありません。

自分がすることが人の役に立つかどうかなどわかりません。

 

しかし、エホバの証人問題について自分が知っていることを伝えることで、どこかの誰かの役に立つのであれば、私はそれをしようと思います。それについて批判されることもかまいません。失敗するかもしれません。ただ思うことは、私はこれまで約20年このことを考えてきましたし、様々な専門家にも長年にわたり相談を続けてきました。それにより偏見等の不利益を被ったこともあります。また、ブログを書く時間をとることを含め、こうした活動について考え続けることは極めて大きな負担がかかるものであり、仮にそれが価値があるものであったとしても或いは価値が全くないものであったとしても、1人の人間が何かを一生懸命にやってるのであれば、その一生懸命さには一定の敬意を示す社会であってほしいと思います。

そしてその一定の「敬意」」には、「信頼しているのでこれはしないでいただきたい」という意思表示があればなるべくそれを尊重することや、何よりその行為や活動にまつわる非常に様々な複雑な状況について少しだけでも思いをはせて、配慮を示すことが含まれるのではないかと私個人は考えるところです。
少なくとも自分はそうありたいと思っています。

 

6.何より最も大事なこととして、自分が書いてはいない内容について、あたかも私が書いたかのように公の場所で紹介され、さらにその真実に完全に反する理解に基づいて何かの批判をされるということであれば、そうした場合には、私としても自分や自分の協力者の名誉を守るために、「それは間違っている」と明確に反論せざるを得ないと感じます。

こうした理由で、今回、自分の考えを書きました。