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国史跡 竹田城跡

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[蔵元訪問記]此の友酒造-山紫水明 梁瀬ノ銘酒  

此の友酒造さんへお邪魔する前 来月の視察を兼ねて竹田城跡へ行ってきました 
初夏/平日という事で観光客もまばら 人混み嫌いな自分なのでそういう意味では良かったのですが… 

 

 
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「天空の城」「日本のマチュピチュ」「ラピュタの城」...様々な異名を冠する国史跡/竹田城跡 

皆さまは“竹田城”と聞くと 神秘的な雲海に囲まれた城を想像するのではないでしょうか 
 
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この有名な雲海模様は竹田城跡を擁する古城山の南東/立雲峡から撮影したものです(Ⓑ→Ⓐ) 
雲海が出現するには特定の時期と天候条件が必要で 毎年何時行っても見れるものではありません 

 
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竹田城 は室町時代 嘉吉年間(1441~ 1443)に丹波国/播磨の出入口である竹田の地に“安井ノ城”として築城され 但馬国の要所ゆえに細川氏と山名氏の闘争の場でもありました 嘗て壮麗を誇った安土城と同じ総石垣の城郭で 現在の確認できる大規模な石垣構造は全国屈指と言われています 
 
江戸幕府の方針により廃城となり 現在は石垣のみが残る城跡となっています 

 
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播但道から見上げたた竹田城跡(望遠撮影) 
 
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竹田城跡には“JR竹田駅”と“山城の郷”2つのポイントから登山出来ます 今回は山城の郷から 
 
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山城の郷から望む竹田城跡(左上) ここから徒歩だと片道40~50分は掛かるとの事 
 
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山城の郷から定期的に中腹までのバスが運行しています タクシーも途中までは乗せてくれます ただ車一車分の細い道でかつ一方通行のため 帰路は確実に徒歩 見積もって往復100分は掛かる計算です 
 
行程全てが平坦な道でなく険しい山道なので 登頂前に体調/装備を万全に整えるのは必須 

約400㍍の小山だと侮っていると私みたいに下半身筋肉痛の憂き目に会います(笑) 

 
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中腹の料金所を越えてから険しい山道に 想定内でしたが日頃運動不足の体には堪えます(涙 
山城の郷から30分 漸く南千畳曲輪の入口に着きました ここから天守閣跡までまだまだです 
 
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本丸/天守閣跡に到着 繁忙期はここが人で溢れかえっているらしい... 

 
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ぐるり絶景の見晴らし 晴れていて良かった... しかし真夏日の日射は半端なく暑いです(汗 
 
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壮麗な石垣群を後に下山 来る時 望遠写真を撮った高速インターを逆撮り 
 
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中腹まで下山 登山時は気づきませんでしたが ここから山城の郷までが意外に長いです 
 
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帰ってきました 往復徒歩は休憩/観覧時間を除いて丁度100分位 スタートから延べ2時間半 

こう見ると近い様で以外に遠い…単に自分が運動不足だけなのか 兎も角綺麗な眺めでした 
 
単身で平日という事ですんなり行けましたが 週末の繁忙期だと(夏季はそうでもないような気が) 凄い人らしく 暑さも増して体調を整えていないとしんどい行程になるかもです 
 
増してや団体行動なので今回よりは確実に時間をみる必要がありそうですね また考慮します 
 
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やはり「雲海のラピュタ」を堪能するには秋深まった頃が一番なのでしょうか 

此の友酒造蔵元見学 補足1

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[蔵元訪問記]此の友酒造-山紫水明 梁瀬ノ銘酒  

先日お邪魔した此の友酒造さん 来月また皆様と一緒に訪問しますが 補足を兼ねて説明用に 

 
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見学の中でクーリングタンク(冷却制御貯蔵タンク)の部屋へ行くと思います そこで 
 
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タンクの一つにサインが(こんな高価な装置によく直に書くよな とかいうツッコミはさておき)確認出来ます 
 
「これ誰のサイン?」と思う筈なので ご紹介を兼ねて 

 
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梨衣名(りいな) 女性誌『CanCam』の人気専属モデル 見た目の美貌に依らず中国出身の苦労人です 

(参照)梨衣名オフィシャルブログ  

 

彼女は日本一の清酒を決定する「SAKE CONFITITION2016」でゲストプレゼンテーターを務めました 

 
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“吟醸部門”で見事日本一に輝いた 此の友酒造/木村社長 
 
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この木村社長の隣 赤いドレスの女性が梨衣名さんです このご縁で 
 
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昨年11月に蔵元訪問が実現 翌月12月TVでも放映されました 

 
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これがサインした時の写真 木村社長も彼女の人柄を褒めていらっしゃいました 

 

私達が訪問した時 このブログを参照頂ければサインの由来が詳しく理解頂けると思います 

幻のミイケ塩湖

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九州久留米へ蔵元訪問の折 知人から「久留米行くの なら“ミイケ塩湖”知ってる?」と言われ調べてみた どうやら大牟田市湾岸にある1997年に閉山した三井三池炭鉱跡の塩山という事が判明 

 
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三井三池炭鉱 (万田坑-国重要文化財及び史跡 2009年ユネスコ世界文化遺産登録) 

2009年 三井鉱山から日本コークス工業株式会社に社名変更 跡地に三池港湾合同庁舎設立 
 
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で 肝心の“ミイケ塩湖”はどこ? と探っていくと… 

 
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三池港の先端 恐らくここの塩山が特定の条件を満たした時に現れるのが“ミイケ塩湖”だと推測できる 

因みに久留米で出会った方々にミイケ塩湖の事を訪ねても 誰一人「何それ?」という応対 

 

正しくは私有地なので公称ではなく マニア達の間で勝手に“ミイケ塩湖”と呼ばれているのだろう 

 
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「行った経験がある」方の話によると ミイケ塩湖が見れる特定の条件]というのは[前日の夜に雨天で 翌朝晴れた日の朝方]との事 要は程好く雨で地面が濡れていて それに塩山が日照反射する現象なのか 

 

また 最寄りのJR大牟田駅から現地まで行くには徒歩しか手段が無く 現地に辿りつけても監視員の目が厳しいので 見つかったら即退去なのだそう... 普通に考えたら他人様に私有地に入ったら怒られるよ(笑) 

 
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久留米に滞在していた早朝 あわよくばミイケ塩湖を拝みに...と下計画はしていたものの 当日朝は生憎の雨 10時過ぎには止んだものの 帰りの列車時間が差し迫っていてまた次回に というオチでした 

 

ショッピングモールや世界文化遺産もある事だし そちらを見学する“ついで”で行けば見れるかも 
再び久留米方面へお邪魔する機会があれば 美しいミイケ塩湖を見に行きたいと思います 

 

勿論 ちゃんとした手段で(笑) 

北野天満宮(久留米)

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西鉄甘木線/北野駅下車右に徒歩3分 筑後川支流/陣屋川北側に北野天満宮 が鎮座しています 

 

天喜二年(1054)創建 山口酒造場を営む山口家と縁の深い神社 京都北野天満宮の直系神社で 無実の罪で大宰府に配流された菅原道真公を祭神とする鎮守府でもあります 
 
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県道81号線から望む北野天満宮 鳥居内は嘗ての宮内だった跡が 神聖な地であった事が伺えます 

300年前 山口酒造場(古手屋)初代/山口與右衛門がこの地に辿り着き 山口家の歴史が始まりました 
 
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筑後国-豊臣政権時は小早川隆景養子/秀包が 関ケ原戦後は石田三成を捕えた田中吉政が三河国岡崎から加増移封 2代目死後田中家は無嗣断絶となり 筑後は南北に分けられ北部を丹波国福知山から加増移封された有馬氏が治め 以後江戸末期まで久留米藩として栄えます 

 
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福岡県の天然記念物に指定されている樹齢900年の大樟 

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菅原道真公いえば“牛と梅” 神社の神紋は京都/北野天満宮同様“星梅鉢紋”です 

 

『東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな』 — 菅原道真(拾遺和歌集) 

 
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道真公が大宰府へ辿りついた折 河童との伝承があり “河童の手”は代々神社の宝として祀られています(現在非公開) この絵は何時頃画かれたものでしょうね?最近と推測しましたが 

 

山口社長が子供の頃 蔵開き祭りでこの“河童の手”を借り受け蔵内で飾った所 原因不明の病に掛かった事で非公開になったとか(笑) そういう逸話を聞いた時は流石に道真公の神力を感じました 
 
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写真に見える2つの鳥居 向こう側の黒い鳥居が嘗ての宮道の幅を示しています(2㍍半ほど) 
現在は宮内へ移封されていますが 嘗てはこの鳥居が正門として宮町/北野町を彩っていました 
 
北野町の町花はコスモス 今度はコスモスが咲き誇る秋に再訪出来ればと思います 

“おくんち(収穫祭)”が10月に開催されているので その時期に合わせれば 

 

というか その辺り ひょっとすると大阪でご一緒しているんじゃないですか?(笑) 

 
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[蔵元訪問]山口玲子キルト展2017

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久留米市/北野町に蔵を構える山口酒造場を訪問した折 丁度年一の“蔵開き”中で母屋始め敷地内で現当主の母/10代目女将の手による『山口玲子氏キルト展』が開催されてました 

 

当主/山口社長ご案内のもと 蔵の沿革と併せ壮大な展示数の美しいキルト達を観覧させて頂きました 
 

 
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山口怜子氏は江戸天保三年から300余年続く山口酒造場の十代目女将ですが 幾つもの草鞋を持っています 温泉地熱を利用した食品づくりなど“食のプロデユーサー”としての顔を持つ一方 海外でも高く評価されている日本のパイオニア“パッチワークキルト作家”でもあります 
 

「パッチワーク」とは布と布を縫いつなげ一枚の布にする技法で 布地有効利用のため余った布や端布を紡いでつくったのが始まりです 布地に綿をはさんで縫いあわせたものをパッチワークキルトといい 17世紀アメリカで西部開拓の移動によって全米に広がり 世界各地で盛んに行われています 
 

山口玲子氏がパッチワークを始めたのは53年年前 尺貫法を使った日本キルトというパターンを開発したのがきっかけでした 

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1982年にはアメリカのナショナルキルト連盟に招待され渡米 歴史あるアメリカンキルト発祥の地で日本ならでは古裂を素材にした独創的な“刺し子風キルト”は驚きをもって受け入れられたそうです 

  
全米の著名なキルト作家達が出展する作品が集まる中で玲子氏の受賞作品は9点 そのうち最高賞であるブルーリボン賞は3点にのぼり その作品は首都/ワシントンD.C.にて公開されたそうです 
 

これをきっかけに山口玲子氏のキルトは世界中で注目され 各国大使から招待されるようになりました 

  
山口キルト004   山口玲子氏のこだわりは家庭の古布を使う事 

  
「デザインを考えるのは私だけど 生徒さんにお家にある布を持ってきてもらう その布にはひとつひとつに物語がある そこからデザインが生まれる それをもとに一緒につくっているんです」 

 

それぞれの思い出を縫いつなげていくキルトは「日本の家族を綴るキルト」と言われています 

 
海外から注目される事で日本の新聞社/雑誌社が注目するようになり 東京をはじめ日本国内の巡回展や米国.中国への出展など 現在の活動フィールドは多岐に亘っています 

 
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2009年 キルト作家として『福岡県文化賞・創造部門』を受賞されました 

 
その多岐にわたる活動は全て「衣」「食」「住」へと繋がっています 
 
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実際これだけのキルトを展示するのは久しぶりだそうで そのために蔵内の掃除/移動に前後各1週間かかったそうです 沢山の援助があってこそのキルト展 地元の良き繋がりを体感できました