天使のエッセイ -3ページ目

わたしの愛の送り方


昨日のブログで天使に言われたこと。


「生きるんだ!」



そして、「生きる」とは


「愛を送り、愛を受け取ること」




・・・・・・それについてわたしはちょっと考えた。


今のわたしは一体どうすれば愛を送れるのだろう?




普通に生きているのなら、

そのチャンスも方法も山ほどあることだろう。



けれどもわたしは現在重病の身で、

病院にいくか、家で一日中闘病する毎日。


一体そんなわたしにどうやって愛が送れるのだろう?




・・・・・・そう考えてみて、

ああ、やっぱりわたしは「書く」しかないんだよなあと思った。




たとえばこのブログは

わたしが愛を送るためにとても役に立つツールだと思う。合格



また、ブログの記事のように一方的に表現するのではなくて、

特定の相手との関わりを感じながらやりとりするのに、

メールとか、あと古風だけど手紙とか、
そういうものもやり取りに使える。



もともとわたしは書くことにはとてもマメなので、

そういうことに全く苦痛は感じない。




ブログでは自分の思うことを書く!


それだけでわたしの愛はたっぷりと

読んでくれる人のハートに届くことだろう。

なぜなら今現在のわたしのテーマの100%が「愛」だから。



そして個人的なやり取り、

誰かのことがちょっと気になった時に、すぐに声をかけてみる。


その際に、

自分はこの人に愛が送りたくて書いているのだということを

決して忘れないようにする。


それだけで愛に満ち溢れた文章が書けることだろう。ラブラブ




「書く」というツールを持っているわたしは本当にラッキー!


言葉によって、いろんな人たちに愛を送れるわけだから。



もちろん、生身の人間に触れるほうが

ずっとパワフルで温かいことはわかっているけれど、


書き言葉だけでも世界は変えられる!



だから「書く」というツールに限られている今、

やっぱり書くしかない!



・・・・・・などと思ったのですよ。




健康な時からよく言われていたんだけど、

書き言葉の中のわたしはとてもパワフルで強い感じがするって。


ブログからわたしを知って、出会った人たちの多くが、

わたしのソフトさとか、子供っぽさとか、体の小柄さとかに驚く。


文章の中から感じるわたしはもっとずっと大きいらしい。



そして今のわたしは・・・・・・・・


たぶん書き言葉からは想像つかないくらいの重病人。



けれども文章の中のわたしはそんな感じしないでしょ?



文章でなら、こんなわたしもパワフルに愛が送れる!




そして「愛を受け取る」ほうは・・・・・・?


まったく心配してません。



なぜなら愛は送れば必ず返ってくることを知っているから。



これは100%!



このブログからもたくさん愛が返ってくるのを感じているよラブラブ


特にコメントや「いいね」をつけてもらえると、それだけで

「ああ、愛が伝わっているな」

・・・・・・・って感じて、胸がジーンとする。



読んでくれて、本当にありがとうね。


愛を送っても、受け取ってくれる人がいなかったら

張り合いがないからね。




そんなわけで



書きます!



書ける限り!


愛せる限り!




天使いわく「すべての体験はイコール」


Chemotherapy を受けた翌々朝の早朝、

治療の副作用による調子の悪さに目が覚め、
ボーっと宙を放心したように眺めていると、

わたしの守護天使サムが久しぶりに姿を現した。


白いもやの向こうから、とても背の高い天使サムは
わたしのそばへとゆっくりと歩み寄ると、

わたしをその大きな腕に包んで抱き上げた。



天使に抱き上げられた途端、
体にあったすべての痛みがすうっと消えていった。


今ここで一瞬だけの出来事ではあろうけど、

わたしは嬉しくてまるで子供のようにはしゃいだ声で笑い、
そして泣いた。




「チャイナ(天使がわたしを呼ぶ名前)なぜ泣くの?」



「だって、病気がつらいから。

ねえサム、なぜ人のなかには
こういうつらい体験をしなくてはならない人たちがいるの?

せっかくこの世界に生まれてきて、
なぜ幸せな体験だけでなく、つらい体験をさせられる人たちがいるの?」



「チャイナ、人がこの世界でする体験っていうのは
楽しい体験も、つらい体験も、すべてがイコールなんだよ。

その意味がわかるかな?」



「サム、ごめんなさい。

正直に言うけど、
今、幸せに楽しく日々を送っている人と、

自分のしている体験がイコールだとは

とてもではないけど思えないわ。」



「チャイナ、それはね、きみが自分のしている体験、
また、自分とは全然違った体験に対して、

意味づけし、ジャッジしているからそう感じるんだよ。

体験していることは人それぞれに違っても、
それは楽しそうな体験であれ、苦しそうな体験であれ、

すべての体験の価値はイコールなんだ。

でも人間たちはそれに対して
『これは楽しそうだからいい体験』
『これは苦しいからとてもよくない体験』・・・って具合で、

ジャッジして、いい、悪いを決めているだけなんだ。

けれども本当は体験に良し悪しのジャッジなどはなく、
苦しい体験であれ、楽しい体験であれ、

すべて同じなんだ」



「サム、あなたの言ってることはなんとなくわかるような気はするけど、

やっぱり実際にこれだけつらい思いをしていて、

この体験が楽しい体験とイコールだなんて、
とてもではないけど思えないのよね。

苦しいし、悲しいし、怖いし、
・・・・・そういう感情ばかりを常に感じながら毎日を生きてるわけだから。

そりゃ、ブログなどに書いてるように、
こうなったからこそ気づけたこと、学べたこと、感じられた愛というのもあるけど、

だからって、やっぱりこうなってよかったとはとても思えないし、
健康だったらどれだけいいだろうって思ってしまう。」



「それは当然のことだよ。きみは人間だからね。

つらい病気になってよかったと思う人間などいたら気味が悪いよ。

けれどもね、僕が言ってるのは大宇宙のレベルでの話なんだ。

『すべての体験がイコール』というのは、
もっともっと大きな目で人生や世界を見た時の真実だからね。

だけど、そんな大宇宙の真実などは
今生きる人間にとって意味がないと思ってしまわないほうがいいよ。

なぜならそれがわかっていると、
たとえつらい体験をしなくてはならなかった時にも
その体験がただの『悪い体験』なのではないとわかるから。」



「うん、まああなたの言ってることはちょっとわかるけどね。

『いい』、『悪い』だけだったら、『悪い』ものがやってきた時には
救いようがなくなるからね」



「ははは!
まあ、そんなふうにもいえるけど、

実際にここ最近きみがしてきた体験の中にも
尋常を超えるような素晴らしいこともたくさんあったんじゃないかな?」



「一番素晴らしいと思ったのは、
多くの人たちの愛を感じさせてもらったことかな。

わたしがこうなったことで、
自分がどれだけ人々から愛されていたかがわかったの。

おかしな話だけど、健康なときはそれがまったくわからなかった。

自分は誰からも愛されない人間なのだとずっと信じていた。

でもこうなったことで、親も家族も友達も
実はみんなわたしを愛してくれていたってわかったの。

そしてそれと同時に
わたしがどれだけみんなを愛していたかもわかったのよ」



「それは素晴らしいじゃないか!」



「そうだけど、でもこんな苦しい思いをして、
ましてや早死にしたりしたら、

やっぱり『よかった』なんて思えない。」



「でも、自分はみんなに愛されていて、
自分もみんなを愛していると感じられたら、

もっともっと生きたいと思うようになるんじゃない?」



「そうなのよ!もっともっと生きたい!
もっともっとみんなと愛を分かち合う体験をしたい!

でもそう強く思うのに、
この状態であることが余計に悲しくなるの。」



「でもチャイナ、いくら健康でも、
愛している感覚も、愛されている感覚もなく、

生きている意味も感じず、生きたいとも思わず、
生き続けたとしたらどうだろうか?

それでもやっぱり健康なほうがいいと思うかな?」



「サム!それでもやっぱり健康がいいよー!!!」



「ははは!
相変わらず正直だね。きみは。

チャイナ、きみはまだ死んでない。
今日も生きてるし、明日も生きる。

死んだ人間の気分になろうとするんじゃないよ。

きみはちゃんと生きてる!

生きながら愛を感じられる!

愛を送れる!受け取れる!

そりゃあ、健康な時と同じようにはいかないだろう。

すべてが大変だ!

会いたい人がいてもすぐに飛んでいって会えるわけじゃない。

だけど、きみは生きているんだよ!

わかる?!

生きてるってことは愛する体験、愛される体験ができるってことだよ。

きみが半年前のように元気でダンスやヨガに飛び回っていようが、
何日か前のきみのように、Chemo が怖くてドクターに泣きついていようが、

この世界で愛する体験、愛される体験ができるっていうことは同じなんだ」



「わたしがドクターに泣きついたことなんて、どうして知ってるのよ!」



「ははは!
ぼくはきみのことなら何だって知ってるからね」



「ギクッ!!!」



「チャイナ、この世界でする体験で重要なものは
愛する体験、愛される体験だけなんだよ。

それ以外のものは全部『おまけ』でしかない。

どんな体験をしていようが、
すべてイコールだっていうのはそういうことだよ。

なにをしているかとか、どうやって生きているかということが
どうでもいいとはいわないよ。

今人間として生きる者にとっては
それはかなり大切なことかもしれない。

でもね、大宇宙の目からすればそれは本当に
『どうでもいい』といってしまいたくなるくらいのことなんだよ。

この世ですべき体験というのは愛し、愛される体験だけなんだ」



「なんか、ちょっとわかったような気がする。

・・・・・でもやっぱり健康がいいけど」



「チャイナ、生きるんだ!

生きるっていうのはどうすること?」



「愛し、愛される体験をすること?」



「そうだよ!その通り!

生きるんだ!チャイナ!

きみはもうすでに愛し、愛される日々を送るために
どうすればいいかを知っているだろう?

そうやって生き続けるんだ!

体の痛みよりも、『生きること』にフォーカスするんだ!

それをすればするほど、
きみはもっともっと生きたくなるだろう!

そして生きるだろう!

チャイナ!きみはまだ死んでない!

生きるんだ!」




天使サムはそう言うと、その大きな翼でわたしを包み、

大きな空へと放り投げた。


空へ大きく舞い上がったわたしの体は
痛みがないだけでなく、

健康だった時の美しく筋肉のついた

しなやかな健康体に戻っていた。


わたしは自由だった!


翼もないのに空が飛べる!



・・・・・・そう思っていると、

今度は引力で再び天使サムの大きな翼の中へと落ちていった。



ふわふわな白いサムの翼の中で目を覚ました・・・・・・と思ったら、

羽根布団の中だった。



今日もまた熾烈な病気との戦いの一日が始まる。


けれどもなんだかちょっと昨日よりも


「生きる」(=愛し、愛される)ことを意識しながら

生きられる一日になりそうな気がした。





ハートを開いて愛を受け取る



人間は本当はみんな

愛がいっぱいで優しいんだな



・・・・・・そうわたしは思うの。本当に!




普通に淡々と生きている時は

なかなかその愛や優しさが外に出てくるチャンスがないけれど、


ちょっとした拍子にそれは出てくるし、


たとえば100人の人間がいたら、

その100人、ほぼ全員のなかに愛や優しさがあると思うのです。




そんな愛や優しさを人の中から引き出すのは意外と簡単。


自分のハートをオープンにすればいいだけなのです。




ハートをオープンにするってどういうことかっていうと、

自分の思考や感情や気持ちに対してオープンになるということ。



そうされると、人はどうしたって

相手を力づけたり、優しく声をかけたりすることで
自分の愛や優しさで、ちょっと相手を包みたくなるものなのです。



そして相手の愛や優しさを感じたら

今度は自分が愛と感謝を相手に対して表現すること。



・・・・・・そうやってお互いの間にあるエネルギーは

どんどん愛の大きなものへと変わっていくのです。



自分がハートを開いていなければ
人はなかなかあなたの内側へは入ってこれないから、

お互いに愛を表現するような機会はなかなか訪れないけどね。





わたしは癌が見つかって、

ショックだったけど、

そんな自分にもオープンでありたいと思って、
実際にそうしたことから、


本当に100人中100人の人間が持っている

愛と優しさに気づくことができたの。


大げさじゃないのよ!

本当に人はみんな優しくて温かいの!




たとえばわたしのダンススタジオの仲間たち。


彼らとはダンスを通してつながっているだけだから、

わたしが踊れなくなれば
彼らとの関係もそれまでだと思っていたの。

そんなドライな関係だと。



ところが全然違ったのです!



スタジオのオーナーのトップダンサーのウィル。


彼はフェイスブックにも5000人の友達を持ち、

日々数知れぬ人たちと接し、

自分の生徒の名前も覚えきれないくらいにいつも人に囲まれている、

ニューヨークのサルサ界ではある意味セレブリティー。キラキラ



わたしはその彼に去年の末、ダンスチーム入りを勧められて

すごーく舞い上がっていたんだけど、


年明けてすぐに病気が手をつけられないほど悪くなったので、

ダンスチーム入りは当然断念しなくてはならなくなって
ものすごく落ち込んでいたの。



踊れなくなったわたしなど、
ウィルにとっては使えなくなったダンスシューズのようなもので

レットゴーして捨てるしかない用なしなものだよね

・・・・・・なんて思って、悲しくなっていたんだ。しょぼん



ところがウィルが
わたしのフェイスブックの投稿にコメントして力づけてくれるのよ!


あのウィルが!



そのほかのダンススタジオの友達も
たくさん温かな言葉をかけてくれるし、

フェイスブックでは今までつながってなかった人たちから
友達申請がきたりも結構あって、

これはウィルが
病気のCocoを励ましてあげてって言ってくれているんだろうなと思って、

そんな厚意も嬉しくて。ドキドキ



そして自分に優しくしてくれた一人一人の人たちに

「ありがとう。大好きよ」というたびに

どんどんお互いの間にある温かで柔らかなエネルギーが大きく広がるの。ラブラブ



たとえ相手がドライでクールな人であってもそれは同じなのよ。


最初はちょっと心地悪そうでも、
続けていくうちにだんだん気持ちよくなってきて、

ついには癖になるっていうやつよ(笑)




わたしが今お世話になってるドクターも

最初はちょっとドライな感じがして、

この人の前では
自分もロジカルでドライでいないといけないかなと思っていたんだけど、

Chemo の最初の日、
怖くて思わずドクターに泣きついてしまったわたし。


・・・・・・これはハートを開くために意識してやったことではないけど、

ドクターを前に自分の気持ちや感情にオープンになったわけね。


そうしたらドライだと思っていたドクターが突然すごく優しくなったよ!


わたしを温かく包んでくれて、
わたしの手を握り、適切なアドバイス、優しい言葉をたくさんかけてくれた。


それ以来、わたしたちの間の波動も変わった。

お互いの間の愛が強くなったんだよ。




ハートを開くって、
そんなにシンプルなことで人生が180度変わるのに、

なんで今まで健康なときはそれをやってこなかったのだろう?


・・・・・って思うね。




人は誰でも、
自分がカッコよく見えるようなことにはオープンになれるものだけど、

自分の弱い部分にはなかなかそうなれない。



たとえばわたしがドクターに対して見せた自分自身の恐れ。


怖がるなんて情けなくてみっともないと多くの人が思ってる。



「恐れを手放しましょう」なんてよく言われるしね(笑)



でもね、「恐れ」もまた人間の自然な感情の一つなんだよ!

そんなふうに否定するべきものではないと思うの。




怖くてドクターに泣きついたわたしを

わたしの夫は逆に「強い」と表現した。


なぜなら自分の正直な感情を受け入れ、
それに対してオープンになることは結構勇気の要ることだから!



確かに弱さを隠して怖くない振りをするよりも
自分の弱さを認めて、それを表現することのほうが

ずっとずっと難しいと思う。




ハートを開くって

強くないとできないことなんだけど、


それでいてシンプルで

子供たちなどは自然にやっていたりするよね。



考えすぎない
 
カッコつけない  

ただあるがままにある  

そして表現する  

素直に愛を受け取る  

「ありがとう」と感謝する  

素直に「愛してます」と言う


・・・・・・そういうシンプルなアクションが

あなたの人生の日々に愛を大きく広げ、

幸せで満たしていくことでしょう。



さあ!ゆったりと楽に

大きくハートを開いて!



(人の中には必ず優しさや愛があるから
心配しなくても大丈夫!大丈夫!ラブラブ



越智啓子先生の話

 

最近、このブログのコメントやいただくメッセージの中で

よく越智啓子先生の名前を目にしていたので、

 

今日は越智先生のことを

ちょっと書かせていただこうかと思います。

 

 

 

もうだいぶ前の話になるのですが、

 

越智啓子先生がご著書のなかの一冊の

 

「天使の世界へようこそ!」

 

という本を出版された少し後に、

ある方から、

 

「越智啓子先生の本の中で(わたしの著書の)

『天使のレクチャー』が紹介されていてとても嬉しかった!」

 

・・・・・というメッセージをいただきました。

 

 

「えーっ!マジですかー?!」

 

 

その話を聞いたわたしはさっそく日本から

越智先生の本を取り寄せたのですが、

 

その中身を読んで、さらに舞い上がってしまいました。

 

 

紹介とはいっても、2、3行の紹介文とかではなくて、

 

何ページもにわたって「天使のレクチャー」のことを書かれた、

絶賛に近い紹介のされ方だったのです!

 

 

 

それがあまりにも嬉しかったので

わたしはその次に日本へ行った時に

 

越智先生の講演会へ行ってみることにしました。

 

 

 

その講演会では越智先生はインディアンのコスチュームで登場しました。

本当に楽しい方なのだなあと思ったのですが、

 

わたしの気持ちは、

講演後に先生と一言でも会話を交わすことばかりを考えていたので

 

なんだか肝心な講演会には上の空でした。

 

 

 

講演後はみんなと一緒に長い列に並んで

持参した先生の本にサインをしていただきました。

 

 

越智啓子先生は思ったよりもずっと小柄で、

また、お人形さんのような可愛らしいファッションでしたが、

 

そんな先生の中には

 

そんなイメージとはちょっと違った

計り知れない知性とパワーとカリスマを感じました。

 

 

 

サイン会、自分の番が来た時に

「天使のレクチャーの著者のヒロコ・アイザックスです。」

 

……と、言って名乗りたかったのに、

 

あまりにも緊張したわたしは、

自分の著書の名前を間違えてしまいました(笑)

 

 

それでもまあ、なんとかわたしの正体がわかって、

先生もびっくりされていたのですが、

 

その時にご親切に、

先生のヒーリングのワークショップに一日招いていただきました。

 

 

 

ヒーリングのワークショップはとても興味深く、

半分ゲスト、半分参加者のような、

 

一番おいしい参加の仕方をさせていただき、とても楽しみました。

 

 

みんなと同じように席に座り

 

でも、みんなの前でお話をさせていただいたり、

 

ワークはみんなと一緒。

ランチタイムは先生と一緒。

 

グループワークやペアワークなどにもみんなと一緒に加わって、

 

参加者へのプレゼントもいただき、

 

でも、帰りは皆さんがサインを求めてきてくださるという・・・・・

 

ずるいくらいにおいしいとこだらけで、申し訳ないくらいでした。

 

 

 

越智先生とお会いして、とにかく感心したのは、

先生のプロフェッショナルさでした。

 

 

やっぱりスピリチュアルの世界であっても、

成功者のプロとしての仕事との向き合い方っていうのは

このくらい真剣そのものなんだろうなと思いました。

 

 

もちろん、越智先生は精神科のお医者様なので、

そこからきている真剣さもあるかもしれませんけどね。

 

 

でも、越智先生、ただの面白いお医者様なのではなく、

 

真剣にプロとして生きる、

尋常を超えた知性とパワーのある方のように思えます。

 

 

尊敬です!

 

 

 

越智先生との個人的なおつきあいなどはその後全くありませんが、

 

越智先生のような方と知り合い、

 

自分の著書を読んでいただき、

しかも絶賛していただいたことは

 

わたしにとってとても。スペシャルなことです。

 

 

これもまたキラキラと輝く人生の宝物!

 

 

 

越智啓子先生、これからも頑張ってくださいね!

 

応援しています!

 

 

 

わたしは透明人間じゃない!

 
わたしは今まで
いろんなことにチャレンジし、いろんなことをやって、
 
自分の夢などもたくさんかなえてきたのだけれど、
 
 
フォーカスが定まらず、ふらふらと、
 
あっちへいったり、こっちへきたり・・・・・
 
 
だからわたしはいろんなことができるのに、
 
最終的に何も形にしていないし、
 
固くつながる友達もいない。
 
 
・・・・・・そんなふうに思って、
ちょっと後悔したり、劣等感を持ったり、孤独になったり、
 
有名になった人だとか、自分のキャリアを全うした人、
自分の居場所をつくることに成功した人、
 
自分のミッションを持ち、いつも人に囲まれているような、
そういう自分の持っていないものを持ってる人たちに嫉妬していた。
 
 
 
ふらふらしてひとところにおさまらなかった自分は
世界や人々に忘れ去られ、
 
まるで透明人間のように誰の目にも映らない。
 
誰もわたしを知らない。
 
存在があるのに、ないような・・・・・
 
そんな自分になってしまっていると感じることが怖かった。
 
 
 
けれども最近、そんな自分の恐れは
アホみたいだったと思うようになった。
 
 
なぜならわたしにはわたしを愛してくれる人が
本当にたくさんいるのだと実感を持って知ったから。
 
 
 
通り過ぎていった人たちがわたしを忘れ去ると思っていたのは
わたしの思い込み。
 
 
過去は過ぎ去っていっても、
 
過去にわたしがしてきたことは
たとえ大きなことではなくても
ずっと何かしらの形跡や印象を残していくし、
 
過去に出会った人たちは
結構ちゃんとわたしを覚えていてくれるもの。
 
 
どこで、どうやって生きてこようが、
人と関わり合いながら生きてきた限り、
 
ひとりぼっちなんかじゃないんだ!
 
 
たとえ長い年月の間、つきあいはなかったとしても、
 
以前友達だった人たちとは再度つながり直した時には、
またすぐに愛し合える関係に戻れる。
 
自分自身が相手を愛したいとさえ思っていれば。
 
 
 
わたしは自分が癌であることを公に告知するかどうか、
最初は迷ったのだけど、
 
それをあえて告知することに決めたのは、
 
癌であろうが、なんであろうが、
いつもあるがままの自分を信じていたいと思ったから。
 
 
そしてそのわたしの思いは人々の心を動かし、
 
わたしにびっくりするほど数多くの
 
愛する体験、愛される体験を与えてくれた。
 
 
 
必ずしも昔のフレンドシップの再生だけでなく、
 
以前ちょっと出会った人との出会いなおしだとか、
 
以前の知り合いともっと深く知り合いたくなったりとか、
 
現在の友達関係がより深まったり、
 
壊れていた友達関係の再現、
 
わたしの話を聞いた人との新しい出会い、
 
エトセトラ・・・・・・
 
 
本当にいろいろなパターンがあったけど、
 
 
びっくりするほど数多くの人たちから温かく声をかけていただいた。
 
 
 
また毎日欠かさずメールして話しかけてくれる方とか、
 
実際に必要な支援をしてくれる人たちとか、
 
ダンススタジオの人たちからのサポートも感じるし、
 
 
本当にいろんな形で数え切れない人たちに
サポートしていただいているのを感じる。
 
 
そしてそれはまさしく
わたしが愛されているからっていうことだよね。💗
 
 
 
わたしを愛してくれないと思っていた親も友達も、
 
本当はみんなわたしをしっかりと愛してくれていたのだと
実感を持って知ることができたし、
 
病気は苦しくて嫌だけど、
 
この愛の体験をすることができたことは本当にありがたい。
 
 
 
わたしは透明人間なんかじゃなかった!
 
 
人を愛したいと思っているわたしを
人は決して忘れたりはしない。
 
 
ふらふらした人生の中の
ひとつひとつのシーンの中でわたしと一緒にいた人たちは
 
ちゃんとわたしを覚えていてくれた!
 
 
 
そしてそんな愛の体験をしたわたし。
 
 
もっと生きたい!
 
 
この美しい愛の世界でもっと愛を感じたい!
 
 
・・・・・そう心の底から思うようになった。
 
 
 
そう!
 
ここは美しい愛の世界。
 
 
わたしたちが愛することを望み、愛することを選ぶ限り、
 
愛は際限なくわたしたちの元へやってきてくれる世界。
 
 
この美しい世界をもっともっと味わいたい!
 
 
 

絵を描こう!

 

ダンスをやめてからずっと長い間、

わたしは踊りたいのに踊る場がない状態で、

 

自分の自己表現欲をどうやって満たしたらいいのかを

ああでもない、こうでもない言いながら探していた。

 

 

それで一時期出した答えが「アート」!

 

 

もともと絵を描いたり、何か作ったりが大好きだったわたしには

わりと違和感のない答えだった。

 

 

ずっと昔から

いつかアートにも手をつけてみたいと思っていたけど、

 

アートって時間がかかるので、

それまでは思いついた時にだけ何か描いたり作ったりするだけだった。

 

 

けれどもロングアイランドに住んでいた時、

特に外へ出て何かするようなこともなく、

 

時間もたっぷりあったので、

アートに没頭してみることにしたのだった。

 

 

わたしのオリジナルのコンテンポラリー曼荼羅から始まって、

 

アクリリック・プアリングとか、

猫などのリアリスティック・ドローイングにはまって

 

毎日長時間絵を描いていた。

 

 

ブルックリンに引っ越してきてからも

ラテンダンスを始めたものの、アートも続けていて、

 

その後、ドットアートなどにもはまり、

わたしのフォーカスはカラフルな抽象画が中心になっていった。

 

 

キャンバスのほかに、レコードにもたくさん描いた。

 

彼のお店のゴミレコードをたくさんもらってきてね。

 

 

Facebook には自分のアートページを作って

日々作品の写真やビデオをアップしいていたのだけど、

 

愛用していたカメラが壊れると同時に、

 

家にいると気持ちが悪くて、

じっくり作品を作る気になれなくなってしまったのと、

 

あとやっぱり、踊るのが楽しくて、

ダンスに行く頻度がかなり増えたことで、

 

作品を作らなくなって

アートページの更新もストップしてしまった。

 

 

 

でもね、今また絵を書きたいと思っているの。

 

 

彼がわたしの絵に囲まれているのが大好きだから、

 

もっと絵を描いてほしいっていうから。

 

 

 

病気になって、身体障害者な今、

わたしは彼がいないと何もできない。

 

 

彼は家のことも、わたしの病院への連絡も、

買い物も、猫の世話も全部ひとりでやっている。

 

 

わたしの食事を用意し、

フレッシュ・キャロットジュースをつくり、

掃除、洗濯、買い物・・・・・・

 

病院へ行くときは始終付き添い。

わたしの薬をもらいに行くのも彼。

 

 

そんな彼に今のわたしがしてあげられることはほとんどないけど、

 

絵だったら描ける!

 

 

 

今まで描いた絵も描きっぱなしで放ってあるものも多いから、

 

額に入れたり、ちゃんと仕上げてあげたいね。

 

 

作品、いっぱいあるし

額とかお金かかるのでほったらかしてあるけど。

 

 

フェイスブックのアートページも復活させて、

 

アートで表現した自分を少し前に出してあげるのも悪くない。

 

 

 

これからの作品、

今のところは細かくじっくりと

時間をたっぷりかけて描くようなものは描けない。

 

 

以前かなりはまった猫のリアリスティック・ドローイングや、

あと、わたしのオリジナルのコンテンポラリー曼荼羅などは

 

今はちょっと無理っぽい。

 

 

だから、ざっくりとしたアクリリック・プアリングを基盤にした

抽象画が多くなりそうだけど、

 

その中で

 

 

彼への愛

 

友達への愛

 

この世界への愛

 

 

多くの愛を表現していけたらいいな。💗

 

 

 

 

わたしのFacebook のアートページは

"Angel Coco Art" で検索してください。

 

Photos のAlbum のところへいっていただけると

カテゴリー別に製作したAlbum が見られます。

 

抽象画のみならず

リアリスティックドローイング

オリジナルのコンテンポラリー曼荼羅

猫の絵など、いろいろありますので楽しいよ。

弱さは強さ

 

日々を生きていると、誰でも

 

愚痴や不平不満を言いたくなったり、

弱音を吐きたくなったりすることってあるよね。

 

 

けれどもそんな時、多くの人たちが

そんな自分の持つ苦痛をごくりと飲み込んで、

 

作り笑顔を浮かべ、

 

なにごともなかったように振る舞うことが多いんじゃないか?

 

 

なぜなら、多くの人たちが

愚痴や不平不満や弱音はネガティブでよくないことだと教わるから。

 

 

そんな時でもそんなことは口に出さずに笑顔でいることが

ポジティブで素晴らしいことだと教わるから。

 

 

 

でも、それってどうなんだろうか?

 

 

 

私自身も長女で頼られ、

いつも完璧であることを暗黙で求められてきた人だったので、

 

自分の弱さを見せることがとても苦手だったのだけど、

 

いつも完璧な姿しか見せてはならないっていうのは

本当にしんどかった。

 

 

いつも完璧だと確かに憧れてくれる人たちなどはいたけど、

 

自分自身は本当は完璧であるわけでなく、

弱い部分を隠しているのよね。

 

つまり、その人たちが憧れているのは

本当のわたしではないわけ。

 

 

これは自分の家庭内の役割のほかに

日本で「先生」的な役割をしているときにも感じたんだ。

 

 

人の上に立って、完璧にカッコよく振る舞ってる自分は

 

本当の自分じゃないなあって。

 

 

 

立場をひっくり返してみても

 

いつも完璧な人というのはすごいとは思うけど、

 

あまり心に止まらないというか、

チャーミングじゃないというか、

 

 

それよりも、突然愚痴を言い始めたり、

弱音を吐き始めたりする人のほうが

 

なんか愛したくなるものなんだよね。

 

 

それは自分に対して相手が心を開いて

 

自分の弱い部分を見せてくれているってことだから。

 

 

そしてそんな「弱い部分」というのは

誰にでもあるものだから、

 

そこで共感が起こり、相手とのコネクションを感じるんだね。

 

 

 

実際、自分の強い部分を人に見せるより

 

弱い部分を人に見せることのほうが

 

ずっとずっと難しく、勇気のいること!

 

 

それができるっていうのはむしろ強いことなのだと思う。

 

 

もちろん、いつもいつも愚痴や泣き言ばかりっていうのは

ちょっとどうかと思うけど、

 

そういう部分にもオープンになるっていうのは

悪いことではないと思うよ。

 

 

 

多くの人たちは

「いつもポジティブ」とか「いつも笑顔で」とか好きだよね。

 

・・・・・でもそれって、わたしはちょっと違うなあと思うんだ。

 

 

「いつもポジティブ」なんてあり得ない!

 

そして笑いたくないときでも無理やり笑うっていうのもなんか変。

 

 

先に笑顔を作ることで幸せな気分になるっていうのは

確かにないことはないけど、

 

怒り顔とか泣き顔もいいじゃないってわたしは思うんだよ。

 

 

いつもポジティブじゃなきゃって思っている人たちは結局、

 

「ポジティブ!ポジティブ!」っていいながら

 

怒ったり、悲しんだりすることに対して

ネガティブになって否定してるんだよね。

 

 

それでもいつもポジティブで笑顔でいるのがいいんだって信じ続けたら

 

人間は何も考えないアホになるよ。

 

 

確かにそうなった方がこの世間は生きやすいのかもしれない。

 

そういう人たちはめんどくささがないから

人には好かれるだろうし、

 

何も考えなければ傷つくことも少ないだろうし。

 

 

 

でも、本当にそんなふうに生きたいのか?

 

 

 

わたしは自分や人や人生のすべてを愛したいと感じるから

 

ポジティブもネガティブも、全部受け入れたいと思うよ。

 

 

自分自身の弱さも受け入れて愛して、

それに対してオープンでありたいと思う。

 

そして人の弱さも愛したいと思う。

 

 

 

愛とは自分の感情を押し殺して、

相手に不快を与えないようつくり笑顔を浮かべることではなくて

 

相手に対しても、自分に対しても

弱さも含めて、すべてあるがままを受け入れることなのだと思う。💗

 

両親との電話

 

東京の家族とついにスカイプで話すことができた。

 

 

家族に対しては長い年月を経ても解けない、

様々なわだかまりを持っていたわたしだけど、

 

父、母、弟、それぞれと短い会話を交わしただけで、

 

家族への全てのわだかまりが一瞬にして吹き飛んだ。

 

 

父には最後に厳しい手紙をもらっていたけど、

電話で話した父は優しくて、優しくて、

 

思わず声を殺しながら泣いてしまった。

 

 

 

いつも活発で、明るくて、綺麗で、人から慕われる、

頼りになる完璧なお姉ちゃんだったわたし。

 

そんなわたしを愛してくれた両親。

 

 

だけどわたしはいつでもそんなふうに完璧でなければ

両親に愛してもらえないだろうと思ってた。

 

 

けれども、病気で完璧じゃないわたしは

両親からは受け入れてもらえないだろうと思っていたのは

 

紛れもなく私自身。

 

 

病気のわたしに父も母もとても優しかった。

 

 

わたしが勝手に

 

完璧じゃない自分は両親に愛してもらえないだろうと

思い込んでいただけだったんだ。

 

 

 

「ああ、ヒロコの声が聞けてよかった。」

 

母がそう言った。

 

 

わたしもお父さんとお母さんの声が聞けてよかったよ。

 

 

でも、すごく会いたくなっちゃった。

 

 

お父さん、お母さん、大好きだよ。

 

 

 

愛を感じることで

 

すべてが優しくほどけていく。 

 

 

これからは何も恐れることなく、

 

ただ理屈抜きにすべてを愛していこう。

 

 

お父さん、お母さん、愛しているよ。💗

 

 

 

わたしはチャネラー

 

著書の「天使のレクチャー」の出版の後、

 

初めて出版社から2009年のイベントの依頼をされた時、

 

「チャネリングのワークショップと個人セッションを」と、頼まれた。

 

 

 

「チャネリング?」

 

 

……今だから言えるけど、

 

その時わたしは「チャネリング」をグーグルした。(笑)

 

 

 

わたしは普通のスピ本の著者のように

スピリチュアルの領域の本を読みあさって勉強した人ではないから、

 

スピ用語などにもとてもうとかったのだけど、

 

「チャネリング」をグーグルするっていうのはかなりヤバイよね。(笑)

 

 

グーグルして、

「なんだ、わたしがやってることがチャネリングなのね」

 

・・・・・って納得したんだけど、

その「ワークショップ」となると、どうやってやるものかと迷った。

 

 

わたしにとってチャネリングは

練習や勉強を積んでできるようになったことではないから

 

どうやってその方法を他者に教えるべきなのかわからなかったのだ。

 

 

 

そもそもわたしは子供の頃から

当たり前のようにチャネリングをやってきた人だったので、

 

その自分がやってきたことに

「チャネリング」という名前があったことさえ知らなかったのね。

 

わたしはチャネリングができるようになろうと

トレーニングした人ではなかったから。

 

 

 

子供の頃からわたしには人の心の声が聞こえてきたり、

 

誰かの感情とつながって、突然泣き出したり、

 

時には動物や植物の意思や感情までが自分の中に入ってきたり、

 

亡くなった人の意志や感情が入ってきたり、

 

……そういうことが日常当たり前のように起こった。

 

 

この力のおかげで

人が多い場所だとか、特殊なエネルギーの場所では

疲れを感じることが多かったので、

 

いつも静かで安全な場所を好んだ。

 

 

自動書記も日記などを書いていると勝手に起こることが時々あったので、

 

その現象については、

「自動書記」という名前を知るずっと前から知っていた。

 

 

自動書記は自分よりもずっと大きな意識が

文字を通して入ってくるから、本当にセンセーショナルだったね。

 

 

 

・・・・・・まあ、そんなかんじで、

わたしってとにかく、ものすごく変な子だったわけ(笑)

 

 

こんな力があっても普通の生活の中では何の役にも立たないし、

こんな力はうっとうしいだけだった。

 

・・・・・・っていうか、それは力だとも思ってなくて、

なんで自分だけこんなに変なんだろうって思ってた。

 

 

特に子供の頃って自分の力をコントロールして使えないから、

いろんな人や物にチャネルしまくってしまったり、

 

自分の意思とはかかわりなく、

自分以外の人の感情とチャネルして泣いたり、怒ったりばかりして、

 

めっちゃ疲れたりしてたね。

 

 

 

でもナチュラルスピリットさんに個人セッションを依頼され、

たくさんのクライアントさんのセッションをさせていただいて以来、

 

この奇妙な力がちょっと活かせるようになった。

 

 

もっとも、わたしのセッションは

相談内容によってアプローチの仕方が全然違って、

チャネリングの力を使わないこともあるのだけれど、

 

実はストレートなチャネリングのセッションはやっぱり一番の得意分野で、

 

亡くなった方にチャネルするなどで

クライアントさんにとても喜んでいただけたことが結構あった。

 

 

 

でも今、チャネリングに関してやりたいと思っていることは、

 

また天使とたくさん話すこと!

 

 

著書の「天使のレクチャー」を書いていたときのようにね。

 

 

天使とスピリチュアルな話をたくさんしたい。

 

改めて天使に聞きたいこと、いっぱいある。

 

 

そうね、まさしくもう一度

「天使のレクチャー」を聞くっていうかんじかな(笑)

 

 

それはまた、やったらこのブログでシェアしますね。

 

 

今なら「天使のレクチャー」を書いたころよりずっと理解力もあるから、

ますます面白い話が聞けそうな気がするよ。

 

 

楽しみにしててね!

 

 

 

 

 

わたしの著書「天使のレクチャー」

 

ものを書くことが大好きなわたし。

 

そんなわたしには実は著書もある!

 

 

「天使のレクチャー」という、スピリチュアル・ファンタジー!

 

 

 

実は物を書くことが好きだったわたしには

 

「いつか本を出版する!」という夢があったんだけど、

 

その夢がこの本を通して2006年にかなえられた!

 

 

 

もともとわたしはファンタジー物語を書くのが好きだった。

 

自分の有り余るイマジネーションを使ってストlリーを展開する。

 

 

子どもたちが秘密基地遊びをしながら、

突然いなくなってしまった一人の子を探しながら

言葉も、文字も、数字さえ違う世界へとたどり着く冒険話とか

 

 

同窓会で再開した大人たちが

子供心を取り戻そうとしているうちに、

巨人と小人と人食い人種のいる不思議な世界にたどりついて冒険する話とか

 

 

二人の女の子が同じ夢の中で仮装パーティーに招待され

毎晩眠るたびにそのパーティーへと戻っていく話だとか

 

 

いろいろユニークなファンタジーストーリーを書いていた。

 

 

 

それがどうしてスピ本になったのかというと、

 

ある日、ヨガのクラスの最後にシャバサナをしていた時に、

お告げのようなメッセージが降りてきたから!

 

 

「人の意識レベルが変わるような、

 

スピリチュアルな生き方の入り口となるような本を書きなさい」

 

 

・・・そんな感じのメッセージだった。

 

 

 

そのメッセージがあまりにもドーンときたので、

 

じゃあ、どうやってそんな本を書こうかと考えて、

 

たどり着いたのが

「自動書記で天使と会話をしながら書く」というものだった。

 

 

当時わたしはまだ30台!

 

スピリチュアルを語るにはまだちょっと若すぎたのだけど、

天使の力を借りればできそうだと思った!

 

 

それで「天使のレクチャー」は天使との会話をつづった本になった。

 

 

多くの部分が芝居の台本のような感じなので、とても読みやすく、

無理なく自分の中に入ってくると思うよ。

 

 

また、わたしが自動書記で天使と対話している間に出てきたイメージ、ビジョン

 

それに絡んで夢に出てきたビジョンやストーリーなどもたくさん入っているので、

 

スピリチュアルの本であると同時に

ファンタジー物語チックに仕上がった。

 

 

 

ところが、書いたはいいけど、

それをどうやって出版するのかという大きな問題が次にあった。

 

 

有名人でもなんでもないわたし。

 

それ以前にアメリカ暮らしで

日本のことなど基本的なことからわかってない。

 

 

まあ、仕方ないと思って、

ひとつの出版社に原稿を見てもらうと、

 

共同出版を希望しますという返事。

 

 

共同出版とは著者に出版のお金を出させ、

その他の仕事を出版社がやってくれるというもので、

基本的に自費出版なわけで、

 

それに多額のお金が請求され、わたしには無理だった。

 

 

 

ところが、その後で不思議なことが起こった!

 

 

わたしの原稿を読んだという謎の人物から、

 

その原稿を出版するのにもっと適した出版社があるから

そこに原稿を送るようにと言われたのだった。

 

「いい本は世に出るべきだから」とも。

 

 

その出版社がスピリチュアルな書籍を多数扱う

 

「ナチュラル・スピリット」

 

 

 

そんな経過をたどって

「天使のレクチャー」は2006年についに出版された。

 

 

それが原因で、当時結構な人気ブログだったこのブログには

人がもっと訪ねてくるようになり、

 

2009年、2010年には

出版社主催のチャネリングのワークショップとセッションに

日本へ招いていただいた。

 

 

雑誌などにも取材された。

 

 

自分の本の出版の夢は

そんなふうに大きくふくれあがったのだった。

 

 

 

「天使のレクチャー」

 

本当にに不思議な本。