わたしの愛の送り方
天使いわく「すべての体験はイコール」
ハートを開いて愛を受け取る
越智啓子先生の話
最近、このブログのコメントやいただくメッセージの中で
よく越智啓子先生の名前を目にしていたので、
今日は越智先生のことを
ちょっと書かせていただこうかと思います。
もうだいぶ前の話になるのですが、
越智啓子先生がご著書のなかの一冊の
「天使の世界へようこそ!」
という本を出版された少し後に、
ある方から、
「越智啓子先生の本の中で(わたしの著書の)
『天使のレクチャー』が紹介されていてとても嬉しかった!」
・・・・・というメッセージをいただきました。
「えーっ!マジですかー?!」
その話を聞いたわたしはさっそく日本から
越智先生の本を取り寄せたのですが、
その中身を読んで、さらに舞い上がってしまいました。
紹介とはいっても、2、3行の紹介文とかではなくて、
何ページもにわたって「天使のレクチャー」のことを書かれた、
絶賛に近い紹介のされ方だったのです!
それがあまりにも嬉しかったので
わたしはその次に日本へ行った時に
越智先生の講演会へ行ってみることにしました。
その講演会では越智先生はインディアンのコスチュームで登場しました。
本当に楽しい方なのだなあと思ったのですが、
わたしの気持ちは、
講演後に先生と一言でも会話を交わすことばかりを考えていたので
なんだか肝心な講演会には上の空でした。
講演後はみんなと一緒に長い列に並んで
持参した先生の本にサインをしていただきました。
越智啓子先生は思ったよりもずっと小柄で、
また、お人形さんのような可愛らしいファッションでしたが、
そんな先生の中には
そんなイメージとはちょっと違った
計り知れない知性とパワーとカリスマを感じました。
サイン会、自分の番が来た時に
「天使のレクチャーの著者のヒロコ・アイザックスです。」
……と、言って名乗りたかったのに、
あまりにも緊張したわたしは、
自分の著書の名前を間違えてしまいました(笑)
それでもまあ、なんとかわたしの正体がわかって、
先生もびっくりされていたのですが、
その時にご親切に、
先生のヒーリングのワークショップに一日招いていただきました。
ヒーリングのワークショップはとても興味深く、
半分ゲスト、半分参加者のような、
一番おいしい参加の仕方をさせていただき、とても楽しみました。
みんなと同じように席に座り
でも、みんなの前でお話をさせていただいたり、
ワークはみんなと一緒。
ランチタイムは先生と一緒。
グループワークやペアワークなどにもみんなと一緒に加わって、
参加者へのプレゼントもいただき、
でも、帰りは皆さんがサインを求めてきてくださるという・・・・・
ずるいくらいにおいしいとこだらけで、申し訳ないくらいでした。
越智先生とお会いして、とにかく感心したのは、
先生のプロフェッショナルさでした。
やっぱりスピリチュアルの世界であっても、
成功者のプロとしての仕事との向き合い方っていうのは
このくらい真剣そのものなんだろうなと思いました。
もちろん、越智先生は精神科のお医者様なので、
そこからきている真剣さもあるかもしれませんけどね。
でも、越智先生、ただの面白いお医者様なのではなく、
真剣にプロとして生きる、
尋常を超えた知性とパワーのある方のように思えます。
尊敬です!
越智先生との個人的なおつきあいなどはその後全くありませんが、
越智先生のような方と知り合い、
自分の著書を読んでいただき、
しかも絶賛していただいたことは
わたしにとってとても。スペシャルなことです。
これもまたキラキラと輝く人生の宝物!
越智啓子先生、これからも頑張ってくださいね!
応援しています!
わたしは透明人間じゃない!
絵を描こう!
ダンスをやめてからずっと長い間、
わたしは踊りたいのに踊る場がない状態で、
自分の自己表現欲をどうやって満たしたらいいのかを
ああでもない、こうでもない言いながら探していた。
それで一時期出した答えが「アート」!
もともと絵を描いたり、何か作ったりが大好きだったわたしには
わりと違和感のない答えだった。
ずっと昔から
いつかアートにも手をつけてみたいと思っていたけど、
アートって時間がかかるので、
それまでは思いついた時にだけ何か描いたり作ったりするだけだった。
けれどもロングアイランドに住んでいた時、
特に外へ出て何かするようなこともなく、
時間もたっぷりあったので、
アートに没頭してみることにしたのだった。
わたしのオリジナルのコンテンポラリー曼荼羅から始まって、
アクリリック・プアリングとか、
猫などのリアリスティック・ドローイングにはまって
毎日長時間絵を描いていた。
ブルックリンに引っ越してきてからも
ラテンダンスを始めたものの、アートも続けていて、
その後、ドットアートなどにもはまり、
わたしのフォーカスはカラフルな抽象画が中心になっていった。
キャンバスのほかに、レコードにもたくさん描いた。
彼のお店のゴミレコードをたくさんもらってきてね。
Facebook には自分のアートページを作って
日々作品の写真やビデオをアップしいていたのだけど、
愛用していたカメラが壊れると同時に、
家にいると気持ちが悪くて、
じっくり作品を作る気になれなくなってしまったのと、
あとやっぱり、踊るのが楽しくて、
ダンスに行く頻度がかなり増えたことで、
作品を作らなくなって
アートページの更新もストップしてしまった。
でもね、今また絵を書きたいと思っているの。
彼がわたしの絵に囲まれているのが大好きだから、
もっと絵を描いてほしいっていうから。
病気になって、身体障害者な今、
わたしは彼がいないと何もできない。
彼は家のことも、わたしの病院への連絡も、
買い物も、猫の世話も全部ひとりでやっている。
わたしの食事を用意し、
フレッシュ・キャロットジュースをつくり、
掃除、洗濯、買い物・・・・・・
病院へ行くときは始終付き添い。
わたしの薬をもらいに行くのも彼。
そんな彼に今のわたしがしてあげられることはほとんどないけど、
絵だったら描ける!
今まで描いた絵も描きっぱなしで放ってあるものも多いから、
額に入れたり、ちゃんと仕上げてあげたいね。
作品、いっぱいあるし
額とかお金かかるのでほったらかしてあるけど。
フェイスブックのアートページも復活させて、
アートで表現した自分を少し前に出してあげるのも悪くない。
これからの作品、
今のところは細かくじっくりと
時間をたっぷりかけて描くようなものは描けない。
以前かなりはまった猫のリアリスティック・ドローイングや、
あと、わたしのオリジナルのコンテンポラリー曼荼羅などは
今はちょっと無理っぽい。
だから、ざっくりとしたアクリリック・プアリングを基盤にした
抽象画が多くなりそうだけど、
その中で
彼への愛
友達への愛
この世界への愛
多くの愛を表現していけたらいいな。💗
※
わたしのFacebook のアートページは
"Angel Coco Art" で検索してください。
Photos のAlbum のところへいっていただけると
カテゴリー別に製作したAlbum が見られます。
抽象画のみならず
リアリスティックドローイング
オリジナルのコンテンポラリー曼荼羅
猫の絵など、いろいろありますので楽しいよ。
弱さは強さ
日々を生きていると、誰でも
愚痴や不平不満を言いたくなったり、
弱音を吐きたくなったりすることってあるよね。
けれどもそんな時、多くの人たちが
そんな自分の持つ苦痛をごくりと飲み込んで、
作り笑顔を浮かべ、
なにごともなかったように振る舞うことが多いんじゃないか?
なぜなら、多くの人たちが
愚痴や不平不満や弱音はネガティブでよくないことだと教わるから。
そんな時でもそんなことは口に出さずに笑顔でいることが
ポジティブで素晴らしいことだと教わるから。
でも、それってどうなんだろうか?
私自身も長女で頼られ、
いつも完璧であることを暗黙で求められてきた人だったので、
自分の弱さを見せることがとても苦手だったのだけど、
いつも完璧な姿しか見せてはならないっていうのは
本当にしんどかった。
いつも完璧だと確かに憧れてくれる人たちなどはいたけど、
自分自身は本当は完璧であるわけでなく、
弱い部分を隠しているのよね。
つまり、その人たちが憧れているのは
本当のわたしではないわけ。
これは自分の家庭内の役割のほかに
日本で「先生」的な役割をしているときにも感じたんだ。
人の上に立って、完璧にカッコよく振る舞ってる自分は
本当の自分じゃないなあって。
立場をひっくり返してみても
いつも完璧な人というのはすごいとは思うけど、
あまり心に止まらないというか、
チャーミングじゃないというか、
それよりも、突然愚痴を言い始めたり、
弱音を吐き始めたりする人のほうが
なんか愛したくなるものなんだよね。
それは自分に対して相手が心を開いて
自分の弱い部分を見せてくれているってことだから。
そしてそんな「弱い部分」というのは
誰にでもあるものだから、
そこで共感が起こり、相手とのコネクションを感じるんだね。
実際、自分の強い部分を人に見せるより
弱い部分を人に見せることのほうが
ずっとずっと難しく、勇気のいること!
それができるっていうのはむしろ強いことなのだと思う。
もちろん、いつもいつも愚痴や泣き言ばかりっていうのは
ちょっとどうかと思うけど、
そういう部分にもオープンになるっていうのは
悪いことではないと思うよ。
多くの人たちは
「いつもポジティブ」とか「いつも笑顔で」とか好きだよね。
・・・・・でもそれって、わたしはちょっと違うなあと思うんだ。
「いつもポジティブ」なんてあり得ない!
そして笑いたくないときでも無理やり笑うっていうのもなんか変。
先に笑顔を作ることで幸せな気分になるっていうのは
確かにないことはないけど、
怒り顔とか泣き顔もいいじゃないってわたしは思うんだよ。
いつもポジティブじゃなきゃって思っている人たちは結局、
「ポジティブ!ポジティブ!」っていいながら
怒ったり、悲しんだりすることに対して
ネガティブになって否定してるんだよね。
それでもいつもポジティブで笑顔でいるのがいいんだって信じ続けたら
人間は何も考えないアホになるよ。
確かにそうなった方がこの世間は生きやすいのかもしれない。
そういう人たちはめんどくささがないから
人には好かれるだろうし、
何も考えなければ傷つくことも少ないだろうし。
でも、本当にそんなふうに生きたいのか?
わたしは自分や人や人生のすべてを愛したいと感じるから
ポジティブもネガティブも、全部受け入れたいと思うよ。
自分自身の弱さも受け入れて愛して、
それに対してオープンでありたいと思う。
そして人の弱さも愛したいと思う。
愛とは自分の感情を押し殺して、
相手に不快を与えないようつくり笑顔を浮かべることではなくて
相手に対しても、自分に対しても
弱さも含めて、すべてあるがままを受け入れることなのだと思う。💗
両親との電話
東京の家族とついにスカイプで話すことができた。
家族に対しては長い年月を経ても解けない、
様々なわだかまりを持っていたわたしだけど、
父、母、弟、それぞれと短い会話を交わしただけで、
家族への全てのわだかまりが一瞬にして吹き飛んだ。
父には最後に厳しい手紙をもらっていたけど、
電話で話した父は優しくて、優しくて、
思わず声を殺しながら泣いてしまった。
いつも活発で、明るくて、綺麗で、人から慕われる、
頼りになる完璧なお姉ちゃんだったわたし。
そんなわたしを愛してくれた両親。
だけどわたしはいつでもそんなふうに完璧でなければ
両親に愛してもらえないだろうと思ってた。
けれども、病気で完璧じゃないわたしは
両親からは受け入れてもらえないだろうと思っていたのは
紛れもなく私自身。
病気のわたしに父も母もとても優しかった。
わたしが勝手に
完璧じゃない自分は両親に愛してもらえないだろうと
思い込んでいただけだったんだ。
「ああ、ヒロコの声が聞けてよかった。」
母がそう言った。
わたしもお父さんとお母さんの声が聞けてよかったよ。
でも、すごく会いたくなっちゃった。
お父さん、お母さん、大好きだよ。
愛を感じることで
すべてが優しくほどけていく。
これからは何も恐れることなく、
ただ理屈抜きにすべてを愛していこう。
お父さん、お母さん、愛しているよ。💗
わたしはチャネラー
著書の「天使のレクチャー」の出版の後、
初めて出版社から2009年のイベントの依頼をされた時、
「チャネリングのワークショップと個人セッションを」と、頼まれた。
「チャネリング?」
……今だから言えるけど、
その時わたしは「チャネリング」をグーグルした。(笑)
わたしは普通のスピ本の著者のように
スピリチュアルの領域の本を読みあさって勉強した人ではないから、
スピ用語などにもとてもうとかったのだけど、
「チャネリング」をグーグルするっていうのはかなりヤバイよね。(笑)
グーグルして、
「なんだ、わたしがやってることがチャネリングなのね」
・・・・・って納得したんだけど、
その「ワークショップ」となると、どうやってやるものかと迷った。
わたしにとってチャネリングは
練習や勉強を積んでできるようになったことではないから
どうやってその方法を他者に教えるべきなのかわからなかったのだ。
そもそもわたしは子供の頃から
当たり前のようにチャネリングをやってきた人だったので、
その自分がやってきたことに
「チャネリング」という名前があったことさえ知らなかったのね。
わたしはチャネリングができるようになろうと
トレーニングした人ではなかったから。
子供の頃からわたしには人の心の声が聞こえてきたり、
誰かの感情とつながって、突然泣き出したり、
時には動物や植物の意思や感情までが自分の中に入ってきたり、
亡くなった人の意志や感情が入ってきたり、
……そういうことが日常当たり前のように起こった。
この力のおかげで
人が多い場所だとか、特殊なエネルギーの場所では
疲れを感じることが多かったので、
いつも静かで安全な場所を好んだ。
自動書記も日記などを書いていると勝手に起こることが時々あったので、
その現象については、
「自動書記」という名前を知るずっと前から知っていた。
自動書記は自分よりもずっと大きな意識が
文字を通して入ってくるから、本当にセンセーショナルだったね。
・・・・・・まあ、そんなかんじで、
わたしってとにかく、ものすごく変な子だったわけ(笑)
こんな力があっても普通の生活の中では何の役にも立たないし、
こんな力はうっとうしいだけだった。
・・・・・・っていうか、それは力だとも思ってなくて、
なんで自分だけこんなに変なんだろうって思ってた。
特に子供の頃って自分の力をコントロールして使えないから、
いろんな人や物にチャネルしまくってしまったり、
自分の意思とはかかわりなく、
自分以外の人の感情とチャネルして泣いたり、怒ったりばかりして、
めっちゃ疲れたりしてたね。
でもナチュラルスピリットさんに個人セッションを依頼され、
たくさんのクライアントさんのセッションをさせていただいて以来、
この奇妙な力がちょっと活かせるようになった。
もっとも、わたしのセッションは
相談内容によってアプローチの仕方が全然違って、
チャネリングの力を使わないこともあるのだけれど、
実はストレートなチャネリングのセッションはやっぱり一番の得意分野で、
亡くなった方にチャネルするなどで
クライアントさんにとても喜んでいただけたことが結構あった。
でも今、チャネリングに関してやりたいと思っていることは、
また天使とたくさん話すこと!
著書の「天使のレクチャー」を書いていたときのようにね。
天使とスピリチュアルな話をたくさんしたい。
改めて天使に聞きたいこと、いっぱいある。
そうね、まさしくもう一度
「天使のレクチャー」を聞くっていうかんじかな(笑)
それはまた、やったらこのブログでシェアしますね。
今なら「天使のレクチャー」を書いたころよりずっと理解力もあるから、
ますます面白い話が聞けそうな気がするよ。
楽しみにしててね!
わたしの著書「天使のレクチャー」
ものを書くことが大好きなわたし。
そんなわたしには実は著書もある!
「天使のレクチャー」という、スピリチュアル・ファンタジー!
実は物を書くことが好きだったわたしには
「いつか本を出版する!」という夢があったんだけど、
その夢がこの本を通して2006年にかなえられた!
もともとわたしはファンタジー物語を書くのが好きだった。
自分の有り余るイマジネーションを使ってストlリーを展開する。
子どもたちが秘密基地遊びをしながら、
突然いなくなってしまった一人の子を探しながら
言葉も、文字も、数字さえ違う世界へとたどり着く冒険話とか
同窓会で再開した大人たちが
子供心を取り戻そうとしているうちに、
巨人と小人と人食い人種のいる不思議な世界にたどりついて冒険する話とか
二人の女の子が同じ夢の中で仮装パーティーに招待され
毎晩眠るたびにそのパーティーへと戻っていく話だとか
いろいろユニークなファンタジーストーリーを書いていた。
それがどうしてスピ本になったのかというと、
ある日、ヨガのクラスの最後にシャバサナをしていた時に、
お告げのようなメッセージが降りてきたから!
「人の意識レベルが変わるような、
スピリチュアルな生き方の入り口となるような本を書きなさい」
・・・そんな感じのメッセージだった。
そのメッセージがあまりにもドーンときたので、
じゃあ、どうやってそんな本を書こうかと考えて、
たどり着いたのが
「自動書記で天使と会話をしながら書く」というものだった。
当時わたしはまだ30台!
スピリチュアルを語るにはまだちょっと若すぎたのだけど、
天使の力を借りればできそうだと思った!
それで「天使のレクチャー」は天使との会話をつづった本になった。
多くの部分が芝居の台本のような感じなので、とても読みやすく、
無理なく自分の中に入ってくると思うよ。
また、わたしが自動書記で天使と対話している間に出てきたイメージ、ビジョン
それに絡んで夢に出てきたビジョンやストーリーなどもたくさん入っているので、
スピリチュアルの本であると同時に
ファンタジー物語チックに仕上がった。
ところが、書いたはいいけど、
それをどうやって出版するのかという大きな問題が次にあった。
有名人でもなんでもないわたし。
それ以前にアメリカ暮らしで
日本のことなど基本的なことからわかってない。
まあ、仕方ないと思って、
ひとつの出版社に原稿を見てもらうと、
共同出版を希望しますという返事。
共同出版とは著者に出版のお金を出させ、
その他の仕事を出版社がやってくれるというもので、
基本的に自費出版なわけで、
それに多額のお金が請求され、わたしには無理だった。
ところが、その後で不思議なことが起こった!
わたしの原稿を読んだという謎の人物から、
その原稿を出版するのにもっと適した出版社があるから
そこに原稿を送るようにと言われたのだった。
「いい本は世に出るべきだから」とも。
その出版社がスピリチュアルな書籍を多数扱う
「ナチュラル・スピリット」
そんな経過をたどって
「天使のレクチャー」は2006年についに出版された。
それが原因で、当時結構な人気ブログだったこのブログには
人がもっと訪ねてくるようになり、
2009年、2010年には
出版社主催のチャネリングのワークショップとセッションに
日本へ招いていただいた。
雑誌などにも取材された。
自分の本の出版の夢は
そんなふうに大きくふくれあがったのだった。
「天使のレクチャー」
本当にに不思議な本。