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続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

過剰宣伝時代ですよね。

電車の中吊り広告を見ていても、タイトルだけでとても興味をおぼえキャッチされますが、本文を読んでみると「スッカラカン」。とくにタイトル以上の魅力も発見もない、つまりもともと深くも精密でもない無内容を、以下にセンセーショナルにみせるか、ということがまかり通っていル気がします。

これが、個人でもそんな傾向が見えてきます。

「心を込めて」とか「手を抜かないで」といった程度のことを、『命をかけて』というとか、安っぽい誇張表現をみると、こっちが恥ずかしくなってきます。

本当に、命を賭けている仕事している人はそんなこと言わないでしょう。
また、本当に命を賭けていた人たちの前で言えないでしょう。

昔だと戦地に赴いた人、今なら福島原発に事故早々に入った人、彼らの前で「命を賭けて」なんてとても言えない気がします。

ただし、真剣さに対象は人それぞれな訳で、たとえば安全な軽作業であっても、当人にとっては命も惜しくない事に向き合っている場合があります。

たった一つの強い願いごとが本当に叶うなら、「命をかける」ことが出来る人がいるかもしれません。

黒魔術で、どんな願い事でも叶うけれども、自分自身が「生贄」になる、というのがあったように思います。自分の命を犠牲にしてまで叶えたいのは、たぶん幸せなことではなくて、恨みを晴らしたいとか、そんなことが多いのでしょう。

悲しい話ですが、「抗議の自殺」という事件も届いたりします。
自分の命をかけてまで、だれかに何かを気付かせてあげたいと追い詰めた人の心情、察するにあまりあります。
まずは、その対象にならないようにしたいと思います。

それから、しあわせなあポジティブな頑張り事には、たやすく『命がけ』なんて使わないようにしようと思います。

山崎哲史 拝
「わたしたち日本人は―」

東南アジアの国々をまわっていて思ったことは、昔は勿論ですが、今でも「日本人」は、無意識のうちに「優越」を感じて発言・行動しているということです。

友好活動の中でも、おのずと「上から目線」になっていることがとても多いです。
日本に対して好意的な国々の人、穏やかな国民性の国々、安い物価、たしかに居心地のいいことが多いのですけれども、自分が偉いわけではありません。

アジアや世界で、欧米人と同じように扱われることが、日本人のステイタスなのかどうか、そういう時代でもないように思うのです。

生まれつきの環境以外に、根拠の無い優越感が、知らないうちに無責任で軽率な行動や発言に結びついている例が多いです。たとえば、東京と地方、年上と年下、先進国と途上国、健常者と障害者、、、

上から目線でおこなう行為の行く末は、将来にわたって相手をいつまでも支配下においておけることが前提となっている気がします。それでは先方は迷惑。

むしろ経済の後ろ盾がなければ、なんにも価値がない日本人がほとんどだということを、最近はちょっと忘れかけている気がしています。

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東北被災地。
3.11当日を過ぎると巷中央のメディアも巷も、もう今日あたりはすっかり話題が移ってしまおうとしています。まるでクリスマスかなにか、イベント本質的にはと同じように扱っている感じさえします。

この時、東北に出向いた人も、その時は真剣に感じて向き合うけれども、戻って着たらバカンスだの花見だのと、たのしい日常を語っています。もちろん、自分のことがそれぞれ大事なのは当たり前なのですけれども。

多くの方の命日になってしまった日、追悼はもちろん必要。しかし何か特別なことがある記念日ではなくて、復興と現地の人の暮らしは、毎日一歩ずつの連続なのだと思います。
そんな被災者のみなさんの日々を支えることを考えてあげるべきだと思います。

行政の復興の計画はそれでも進められていて、また政策の配慮の届かないところもあります。その補完に、民間の人的ボランティアは欠かせない存在だと思います。

それでも、ボランティアは相手の都合で動くものです。
復興計画の流れを熟慮して、自分たちは何ができるか、すべきかを決定しないで、ボランティアが自画自賛でご満悦、これでは困ります。
ボランティアは、「相手の望むことを、望むときに、」が基本で、
我々が自分たちの「得意なことを、都合のいいときに」ではないと思うのです。


この2年、作家として、復興支援にかかわる仕事をいくつか頂きましたが、いまひとつ腑に落ちていません。
むしろ、いまだ終息しない福島原発の周辺で、道路の立ち続けている警察官のみなさんや、男手のいない雪国での雪下ろし作業とか、変わってあげれたらたそのほうが充実していたのかもしれません。

すくなくとも、勝手に3.11記念日を作って、日々暮らしている相手先の日常を壊さないように、自画自賛行動は避けたいと思います。これは、各国、各種施設を回らせていただいた経験から、思うことです。
我々が引き揚げた後も前も、みなさんには日常の現実の暮らしがあります。
日常の暮らしを壊してしまう非日常をもっていってはいけないんです。

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“自分の信じた道を、まっすぐ突き進む”

というと、とてもヒーローティックなのですけれども、人は社会の中で生きていますから、自分が「善」と思っていても、それを周囲に押し付けてもいけませんし、大事なのは、社会のルールや習慣・仕組みに従わなければ、逆に迷惑になってしまいます。

さまざまな人の価値観を知って、受け入れる器がなければ、大人がやっても、なにをやっても「こどもの遊び」の域を出ません。

なので、“相手の気持ちを考えて、慎重に決断する”ことが大事です。

相手の気持ちを考えたら、「行動を控える」という選択肢も出てきます。
すると、だれも注目もしてくれませんし、ありがたがってもくれません。

しかし、それを飲み込むのも本当の優しさだと思います。
ですから常に、“自分の行動を疑ってみること”そして場合によっては、

“自分のやりたいことを、自重すること” が、むしろ世のために正いことな場合があります。

「自分がやりたい事」ではなくて、「自分に求められている事」。
これは、自分が自分で決めることではありません。
社会から求められていることが、自分の得意なこととも限りません。

まずは、自分の世界を広げて、社会のことをいっぱい知ることが大事です。
「世間知らず」のうちに、まっずぐ突き進む方向の判断をしては、エネルギーをかえって誤った方向に向けてしまうことになるのではないかと思います。

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「被災者だからって何言っても許されると思うなよ」

という類の、心ないメッセージが、復興活動を発信されている被災者の方に届くのだそうです。

「忘却の天才」である日本人の気質の問題も含めて、「いつまでも被害者面するな、」的なこの周囲のコメント、その発想について考えさせられます。

阪神大震災の時、東京(=中央)は、忘れるのが早かったことを思い出します。
たしかに、3年も経った頃には、ニュースの扱いも少なくなってしまいました。
現地ではまだまだ必死の復興にあえいでいた時、見放されて不安に感じた人も多かったのです。

また、阪神の時も、厳しい実業の世界に身をおいているビジネスマンの方から、このようの意見がありました。

「被災者や障害者の方も、自分は弱者だからと言っていつまでも助けてくれ、援助してくれ、それが当然だと言う風潮はいかがなものか。自助努力をもっとすべきではないか、援助はその補完でいいのではないか。我々も不況の中必死に働いている。」

この意見には、一旦、気持ちがなびいていました。しかし、即座に我々を諭す、他の意見がありました。つまり、

「弱者だという人は、自己申告でも徹底して甘えさせてあげればいいじゃないか。被災してむしろ儲かった、くらいでいいじゃないか。それを許せないほど心が狭いなら、自分も弱者になれ。そうでないなら、(健常者・ビジネスマンである)我々は、もっともっと業績を上げて、その人たちの面倒くらい社会でみえてあがればい。それくらいの器を持て。」

本当にそう思いました。
日本が堅調だった30年前なら、それくらいの度量はあったんです。弱者(と名乗るだけの人も含めて)が羨ましいなんてことを、思ったりしなかったんです。


”社会的弱者は、おつりがくるくらいまで、徹底的に支援すること。”
被災者、障害者、子ども、高齢者、子育て中の人、すべてのみなさん、ご安心を。


世界と戦うビジネスマンなら、それくらいの度量が無くてどうする!

卑劣な誹謗中傷をする暇があったら、せめて無視してください。
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「ピエロとクラウンの違いは何か?」

ちなみに、涙がある(泣いている)のがピエロ、ないのがクラウンです。
いろいろな悲しみや悔しさを内蔵しながら、道化として観客の笑顔にするためにおどけているのですね。

それはともかく、エンターテイナーが病院に出向いて回る「ホスピタル・クラウン」のコンセプトをもって活動してきた、私としては副業アクトのボランティアが、今月でひと段落。先日のセッションが最後で、来年(度)は、やりません。

出来そこないの道化師になって、いろいろな施設を回らせていただきました。
そこで感じた「アーティストによる支援ってなんだろう」ということは、これからも指標になっていくと思いました。

ぼくらは「非日常」をお届けする立場でした。
しかし学校や施設や病院で、私たちとは違う日常を過ごしているみなさんにとっては、ぼくらが訪れていない時間が、24時間365日x・・・大量にあります。
それをいっしょに過ごして、共有していらっしゃるのは、施設のスタッフさんであったり、ご両親であったり、先生であったりするわけです。

そういう「支援している人たち」の手助けになることが大事なんだと思いました。
なぜなら、ぼくらはこっちの都合で、求められているかどうかも怪しいのに、ホンの一日お邪魔するだけです。

たとえそこで喜んでもらえたとしても、明日の現実になにも変えることはできないどころか、ぼくらのイベント自体がスタッフさんの負担になっていたりします。
ぼくらが打上げで飲んでいるときには、もう現実の生活と戦わなければならないみなさんの日常を、少なくとも壊してはいけないと思いました。

たとえ、ぼくらが子どもたちや障害者のみなさんを喜ばせてあげることが出来たとしても、それはまだ自己満足にすぎないと言うことです。
本当の評価は、日常を接しているスタッフやご家族の方の助けになったかどうか、気休めでもなく・・。

なので、活動の方向は、「困っている人を支援する」のではなくて、「困っている人の日常を支援している人を支援する」がよいのだと思いました。

ご家族や、スタッフさんや、先生が求めるものはなにか、それが大事なのだと思いました。そこに、アーティストが出来ること、得意なこと、ぼくらにしかできないこと、があれば、喜んで提供してあげればいいわけです。

僕らの一方的な善意を押し付けては自己満足。逆効果。
せめて、みなさんの休息になればとおもうのですけれども・・。

ピエロの涙は、みんなにいじめられて泣いているものです。そのまま、みんなを楽しませるために、アクションをしています。ピエロのもっている「影」にはそんな「やさしさ」があります。
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昔、出会った小説や映画に再会すると、以前とは違った感情がたくさん湧いてくることがあります。

たぶん、絵画や音楽も含めて芸術作品というのは、受け手である私たちの人生経験が媒体となって、それぞれの心に届くものだと思うのです。
なので、価値や評価の押し付けはもっての他ですし、作家の豊かな感性や根深い主張によって作られ他作品は、触れるたびに新しい発見があったりします。
「ああ、そういうことだったのか」と、まるで自分の人生経験のリソマス試験紙のような存在、それが名作と言われるものなのでしょう。

ふとしたきっかけで「二十四の瞳」を思い出しました。
この小説を扱った作品として一番お気にいりなのは、あの不朽の名作映画です。瀬戸の美しい風景と、高峰秀子さんの大石先生。木下恵介監督で1954年の作品です。
モノクロならではの豊かさと、高峰秀子さんの気高い美しさ。何度もリメイクされていますが、この作品は現代のアーティストでは出せない魅力がいっぱいです。

壺井栄の原作が1952年だそうで、僕は実は戦前のものかと誤解していたのですけれども、この小説を、その時代に映画化していることにとっても意義があると思います。
現代人の、いまの「まろやかな世情」と価値観によって描くと、ただの反戦ものになってしまいがちです。

1928年から1952年までの日本の経緯を、当時の人がどう思いどう描いたか、とても貴重な資料でもあります。

「役に汚れる」ことのできた名優たちが演じている演技も素晴らしいです。

娯楽を求める観客に安易に媚びていない作品は、なんども見たくなる根強いものを感じます。

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「若いうちは、行きつけ(の店)なんか作るもんじゃねえぞ!」

若き頃、京都の思い出の一つです。生意気に馴染みの小料理屋を作って、「まいど~!」とかやっていたら、お店のマスターにこう言われました。
「世界を小さくするな」ということです。

ま、それは僕としては脳内賛否両論なんですけど、「自分の店ばかりに来るな!」というのは、商売人のお立場を考えると、ものすごく思いきったアドバイスですよね。カッコいいです。

ところで、昨日仲間との雑談の中で出た話ですが、「あなたは幸せですか?」と聞くと、最近の若者には「自分は幸せだ」と答える人が多くなっているのだそうです。

若者が「自分hあ幸せだ」というのは、一見するとよいことです。
よい社会なのだと言えるかもしれません。たしかに、飢餓や戦争があるわけではないし、穏やかに暮らせている事はまちがいないわけですけれども・・。

僕らの意見として、「自分は幸せだというのは、引退した老後の人の発言です。
若いうちは、たとえどんなに恵まれていたとしても、それに気づかず、「まだまだだ!」と、自分にも社会にも抗っているものではないかと思うんです。

もちろん、たまに自分の幸せに感謝することは大事です。
実際は、持って無いものよりも、持っているもののほうが多くあることに気付いて、そんなあたり前だと思っている事に気づくことも大事です。

それでも、「自分は幸せだ」というのは、歳とって、もうあとは「受け入れる」ことしかできなくなったときの、究極の生き方、考え方だと思うのです。

いまの若者が「幸せだ」と自らをおもうというのは、もう「自分の環境を変える元気がなくて、未来に希望がない」ように思える、というのが中年4人の意見でした。

若いうちは、安心して落ちつけるようにこころがけることよりも、たくさん未知の環境に出会って、つまり「旅」をすべきだ、と小料理屋のマスターは教えてくれたように思います。

精神が「旅」をしなくなったら、安定しているように見えても、実は人生終わりなんです。


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「女性から男性にチョコを送る」日本のバレンタインデーというのは、由来ともあれ面白い独自の文化に定着しています。
この時期、街の商店とかも、購入者の女性をターゲットにして働きかけているので、「女性のイベント」ってムードになっているのです。

でも、年に一度、男の子が受け身になってソワソワxワクワクする日でもあるんです。

実は、そっちがミソなんですね、このイベントは。
女の子がチョコに凝る日じゃなくて、「男の子が受け身になる」イベント。

野郎どもが、「待つ身の男」になって、そわそわ、ドキドキ、ワクワク。
チョコレートなんて、普段食べもしないのに気になる、その可愛さが貴重なのです。

・・・と、ツイッターにつぶやいたら、「最近は、年中待ってる男が多くて、イラっとするんです。」と返信もらいました(笑)。草食系というやつですね。甘食系スイーツ男子てのもありましたね。。。

さておき、特におっさんまでもが、普段欲しくもないチョコレートを、この日ばかりは執着?するのが、特別な日としておもしろいところです。

もう一つ、バレンタインデー・ジャポンを素敵な風習として根付かせているのは、「義理チョコ」の存在だと思うんですね。

本来の「告白」するって目的は、だいたい日常365日無制限だし、もう、男女の美しい愛のモラルなんて変わってしまってます。

でも、忙しい毎日、改めて身近に接しているや、離れて暮らす人に、ふと「感謝」を伝えることができるチャンス。無理の無い、気を使わせない「義理チョコ」一個のおすそ分けを、身近な人に。

コミュニケーションの潤滑油みたいなもんだと思うんですよね。

だから残念なのは、早くから商戦一色に染まる街の店頭。強要されちゃうと、義務的になってしまって、それじゃ「義務チョコ」。心の負担で苦しいでしょ。

嘘のない、さりげない気使いの日にしたいものですよね。


あと、いまだにどうしてもホワイトデーというのが納得できないんですけど、それはまた今度。
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「体罰」が急に社会問題化されて、混乱している様子を見て、これも一つのジェネレーションギャップなんだと思ったりしています。一部には、特にスポーツ関係では、根強く「部分的肯定論」が残っています。場合によっては、愛があればそれは教育の一つだということです。

また、殴ると「畜生じゃない無いから殴らなくても分かる」と反抗されるのが定番でしたが、指導者から反論として聞いていたのが「殴らないと分からない奴もいる。」ということでした。
現在さらに誤解された自由奔放が許される時代、正論はともかくとして、それも現実の現場の声なのだと思います。

ところで今、問題の渦中にいるのがたまたま同世代の人たちなのですけれども、我々が若年だったときの指導者層は、「軍隊」世代だったんです。鬼の監督、鬼コーチ、しごき、星一徹、地獄のトレーニング、そういう「スポ根」世代だったんですね。
その後変遷して今は、全部さわやかで「スポ恋」(=スポーツ恋物語)になってますし、衣食住レベルの貧乏という背景も見当たらなくなりました。つまりモチベーションの基礎が違ってきました。

スポーツの世界での成績も、近代的システムのトレーニングと指導で、大きく向上しました。昨今、どんなスポーツの世界大会をみていても、本当に日本選手の活躍はすばらしくて、誇らしく思えます。
そして「軍隊世代」の指導者や指導法の非合理性を指摘して、批判する意見はあたり前になってきました。

さて、そこで思い出したのが、「鬼」のようだった怖い怖い小学校の先生(Mせんせい)のお話。
とにかく、立っているだけでも般若の面のような顔して怖いのに、さらにすぐに「鉄拳」が飛んでくるんです。もう、小学生としてはたまったものじゃありません。一年間の担任にきまっただけで、児童は雄先真っ暗、泣きだした子もいたくらいです。

そんな、Mせんせいが、ある日朝礼で、市販の「お菓子」の袋を手に持って挨拶されました。

「このお菓子が、昨日に捨てられていた。“おまけ”を集めるために菓子を買って、お菓子のほうは棄てたらしい。・・・私たちの子どもの頃は、食べるのものがなくて、食べるために泥棒までした。食べられないものでも食べた。こんなお菓子は、宝物だった。こんなものが食べられるようになりたくて、それだけ望んでがんばって生きてきた・・」

と泣いて語ってくださいました。まさに、鬼の目に涙。

この頃、日本人の基本にあったのが「食べ物を粗末にしない」という、人間としてあたり前の理念です。鉄拳制裁をしてまで是正させ徹底させるべき正義と理念。「軍隊世代」の非合理的な教育には、そういう「あたり前」がありました。これは、どんなに豊かな時代になっても、合理的になっても、失っていいものがどうかと思います。

そして現在、スーパーやコンビニのお菓子売り場には、そもそも「おもちゃメーカー」の「食品」が並んでいます。「食品」部分は、完全に言いわけ程度に駄菓子が入っているだけで、実際に売っているのは「おもちゃ」です。
これは、ビジネスモデルとしては、ものそごく優れているんです。おもちゃメーカーの革新的販路拡大なんです。マーケティングとしては素晴らしいんです。

しかし、言いわけ程度にくっついているお菓子は、棄てはしないとしてもどういう立場の食品なのでしょうか。そしてその「おもちゃ」も、すぐに捨てられてしまうことは明白。安く簡単に手に入るものは、簡単に捨てることが出来るんですね。
買った親にも、買ってもらった子どもにも、何の疑問も待たせない思考になっているみたいです。今は、戦後生まれの人たちの子どもが、さらに親になっている世代です。「食べ物は残さずに食べろ」ではなくて、太るからいっしょにファスティングしようね、という時代です。

でも、変わっていい価値観だけではないと思うんですね。

体罰はダメだとしても、前世代の教えを全部否定することはないと思うんです。むしろ、日本人の基礎をダメにしてしまっているのは、現代的な合理主義の考え方のほうじゃないかと思ったりもするんです。

もちろん、「言葉」でちゃんとコミュニケーション出来ないから、鉄拳や無口で誤魔化すのは、全世代の悪いところなんですけれども。