ゆばー*短歌* ≪Ecoute! Ecoute! C'est Ondine≫
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手に掬う米一粒に友人の憎悪憤怒を抑えた仏顔

遠野

遠野よりもどる電車でブツブツと河童とミッキーの違いを語る

ミッキーにもらった夢は数知れずでも河童の不安を常にまとう

会いたいかと言われればそうでもなく河童が出たという淵で休む

居ないと結論づけてしまえば不可解すぎて眠れない遠野宿

座敷童を信じて夜中にトイレに行くわたしと居ないと言って行けない夫と

深い谷続く山々を眺め来て『遠野物語』に救われている

読まなかったら逃げ出しただろう『遠野物語』居るという人が傍にいなかったら

萸 葉


海外で反省したこと

しばらく日本にいたエレーヌに、久々に会えるチャンスだったのに、会えなかった。。。
もしかしたら、もう一生会えないかも。。。
しかも、ほとんどわたしが悪い、と今となっては思う。

何と言うのか、ラテンな人たちと予定を立てるのって意外にやきもきするのです。
これは、わたしだけじゃないと思う。お友達の日本人もそう言うもの。
前もって予定を立てようとすると、全然返事が来なくなるのです。。。

「このへんにフランス行くよ~、会おうね!」と送ると、
「OK、楽しみにしてる」って返ってくるんだけれど、細かくどこで何日、となると一向に決まらない。。。

で、今回はすでにフランス入りしてから返事が来ていた。。。

わたし、返事を一週間くらい待っている間に一人でいろいろ考え過ぎて疲れて、
「もういいわ、、、、知らない!」って拗ねて、
FBのメッセージを見ていなかったからだいぶ後で気がついたんだけど。。。

「会おう」ってことに一回「そうしよう!」と答えているのだから、
具体的なことが何一つ決まらなくても、会いたいと思ってくれている、ということは信じればよかったなあ。
「あ~、めんどくさいな~」と本当は思われてるのかと傷ついたりしていたんだもの。

でもね、ほんとに。
ポンと返事が返ってくる日本とは、なんか付き合い方が全然違うのです。
「ちょっと考えるから待ってね」とか、「今すぐは決められない」とかの返事をくれる日本の友達は、
何にもないとやきもきするかな?ということを考えてくれていて、
でもそれを考えることができるのって、かなり特殊な能力なんだとよく思います。


日本にいたときは彼女、時間がたっぷりあったし、
二人の予定などはわたしが全部決めていたから、やきもきしたことがなくって、、、。
夫に「エレーヌはちゃんとした子でしたよ。」と言われて、猛烈に反省しました。

柚 葉

オーガニック(BIO)

オーガニック(こっちではBIO)ということを、付加価値だと思っている人と、
それ以外のものはそもそも知らん、という人では、
売っている野菜の種類や並べ方が違うな~と思う。

近所の小さなマルクト内に4店くらいお野菜を売っている中で、1つにだけ人が並ぶ。
そのお店は、野菜の種類が圧倒的に少なくて、特別なものがなく、野菜をきれいに並べていない。
価格も実際少し安いのだけれど、他のお店の方が種類が多いんだから、欲しいものがあればそっちで買うはずなのになあ、と観察していて思う。

わたしがその並んでいるお店に行くのは、買いやすいから。
最初に行った時、おばちゃんが、はかりに乗せて、金額を紙に書いて、というのを何度か繰り返し、
最後に紙の上で足し算をして、「3ユーロ」って言った。
わざわざ細かい計算していたみたいだったのに、え?ちょうど?と笑ってしまった。

他より少し安いのだって、隣と競争してます、っていう日本の値下げとはまったく違う。
(こっちが安いというより、他の店がわざと高くしている印象を受ける。
価格が高いのが、BIOの証ってとこかな。
でも、野菜そのもののお値段じゃなくなっていて、
「商品」にするために、いらんところにお金をかけている分を払わされている、
という気分になるのよね。。。そんな気分になるなら、スーパーの方がましでしょ。)

BIOであることを付加価値にしないで、
市場に惑わされずに自分たちにとって適正な価格で売る、そんな売り手が増えるといいなあと思う。
そもそも、どう育てられたか、ということは付加価値なんかじゃなくて、野菜の本質に関わるんだから、それが野菜の値段を決める、ということだと思うのです。

さて、話は変わってウィーンのトラムやバスの終点は、よい感じに緑なところにつながっています。
100万人を超える大都市でありながら、ウィーンの半分は緑地というのはいいなあ。

市庁舎の横の公園の芝生では(っていうかどこの広場でも)、ほぼ上半身裸な人が寝転がっています。
(たぶんいちおう水着を着たんだろうけれど紐をほどいた(?)オーストリア、海ないからね・・)
気持ちはわかる、でもアジア人はヨーロッパの「ダニ」に耐性がないみたいなので止めましょう。

ドナウ運河沿いにも、アペリティフ用の寝椅子のみならず、砂とベッドみたいに大きなクッションあり。
みんなお仕事帰り(っぽい靴を脱ぎすてて)に寝そべって友達としゃべってます。


海外で何かあるたびに、「肌を露出しないように!」って被害者(とくに女の子)が悪いような書き方をされるけれど、
ちゃんとした恰好をしていれば危険が軽減されると思うこと自体が、日本的じゃないかな?
お化粧も服装も隙がない感じが、非常に「日本人」なんだけどな~。
おっさんでも、冬に厚着をしていても、危ないところは危ないでしょ。

柚 葉

Scheneeberg シュネーベルク

ウィーンから日帰りで行ける山、シュネーベルク(直訳 雪山 2075m)に行きました。
サラマンダー柄(?)の登山電車で、1800mを超えたところまで行けます。
(登山電車、予約した方がよいかも。)

雪山って言うくらいだから、ちょっとは雪が残っていました。ほらね。
$ゆばー*短歌* ≪Ecoute! Ecoute!  C'est Ondine≫

頂上まで登って降りて、3時間くらい歩きました。静かで気持ちがよいです。
牛たちが草をバリバリ食べていて、牛乳が激うまでした。
あ~、ゆったりして、とってもよい週末を過ごすことができました。

今回も、街中にはぜんぜん興味がないし、観光にも気がのりません。
借りているアパートの下のカフェ(バカンスが終わった!)と、
近くで開かれている小さなマルシェ(ドイツ語はマルクトか。。)と、
郊外の緑が多いところにいられれば、かなり満足。
週末は、ちょっと遠出するのが楽しいですね。

今日も大きな樹の下のベンチでひたすら本を読んでいたら、黒と赤のキツツキを見ましたよ。
トントンと音をたてて樹をつついていました。
ついでに、鳥の糞も落ちてきたんですけれど・・・。
(43番のトラムの終点から散策してみたら、森の公園がありました。)

柚 葉

8月のウィーン

もう涼しいと期待していたのに、昼間は日差しが強いウィーンです。
朝と夜は肌寒いし、家の中や日陰は昼もちょっと寒いくらいです。

街中は観光客でいっぱいなのに、
借りているアパートから一番近くのカフェは、バカンス中でしばらくお休みだし、
オペレッタなどを上演しているフォルクスオパーも、カレンダーは9月から(たぶん6月から8月いっぱいまでお休み)。
道を歩く、かなりお年を召した方の胸の谷間が見えるワンピースが、まだまだバカンスよ!と語っています。

ヨーロッパのすてきなマダムは、若い人用の服を着ているのではなくて、
自分にぴったりの、自分も人も楽しませるようなドレスを着るのが上手です。
(わたしはおばあさんのそんな姿がかなり好きです。ヨーロッパの太陽の下では自然なのです。
皮膚はしわしわで、夏は日焼けしていて、腕や背中にたくさんシミがあって、無防備で無邪気なマダムたち、まだまだ健在です。)

ウィーンの水は相変わらずおいしく、観光客相手でも、レストランやカフェの感じがよいのも相変わらず。
朝のカフェで、じっくりと新聞を読んでいる人が多いのも相変わらず。
祝日と日曜には、店が一斉に閉まって食べものが買えない、というのも、相変わらず。
普通のバターやクリームが、日本で食べたことがないくらい美味しいのも相変わらず。

でも、駅に有料のきれいなトイレがあって、どこかみたいにお出かけするたびに何度もカフェを探す羽目にもならないし、
お野菜、乳製品、お肉など、BIOなマーケットが増えたみたいです。

柚 葉

いってきまーす

梅仕事もトマト仕事も終わったし、そろそろ行ってきまーす。

と、その前に、冬に仕込んだお味噌を開けてみました。
味噌の上にはった酒粕の上にカビがちょっとありましたので、取り除きました。
カビはぴらぴらぴら~っとはがれます。はがしてみたら酒粕がとってもおいしくなっていました。

今年は祖母の梅干しがカビてしまったらしいんです。残念だなあ。
日本とは全く違う環境に暮らしたことがない人には、必要なものだと感じないのかもしれませんが、
何にもないときに支えてくれるものって、自然か人の手が生み出すものしかない、です。

いつも完璧なものができるわけではないけれど、それで OK な柔軟さとか、朗らかさは、
自然の花々の不完全さに似ていて、それを学べば世界をやわらかく渡っていけるのです。
雑でよいという意味ではなく、むしろ逆。丁寧に作っても全く同じものなんてできないってこと。
これ、とっても大事なことです。
(海外に行って文句ばっかり口をついて出てしまう人は、
既製品に慣れて、手作りの不安定さに我慢ならない人にそっくりだと思う。)

自分で作りもしない人が、市販の梅干しと比べて、文句を言うってどうなのでしょう。
カビが生えることもあるし、年ごとに全然違うものができあがることもあるけれど、
それって厄介なことなのかなあ。
「今年は仕方ない、また来年!」で済むことな気がしますけれど。
幸い祖母は、去年の梅干しが残っているようです。わたしも失敗する年にそなえて多めに作ろう。

そんなことを許されない大失敗だと考える人々と、わたしは近くで暮らしたくないなあ、
というのが本音。

柚 葉

梅を干す

原爆の日。黙祷を捧げます。
こういう世の中にしたい、ということは一人では叶わないけれど、
世がこうなったらわたしは関わらない、あらゆる手段を考えて身を引く、と決めていることくらいは守られるでしょう。

さあ、梅干しを干していますよ。
梅干しって言うくらいなんだから干さないと。そうでなかったら「梅漬け」でしょう?

ずっと海で泳いでいたいけれど、帰ってきました。
じつは夏のあいだにやっておきたいことがたまっています。
$ゆばー*短歌* ≪Ecoute! Ecoute!  C'est Ondine≫

カビていなかった!!!赤くなってる!!!わーい。
わたしの初の梅干しは1キロだけ。一年分は足りないでしょう。
来年は2キロにしようと思います。

追記、

昨日、福井から関西へ電車で帰る途中で海水浴に行く、というのをやってみました。
(もう一回海に入りたかったのと、誰かに聞かれた時のために自分で試してみた。)

敦賀駅まで電車で行って、敦賀駅のコインロッカーに荷物を預け、バスで気比松原海岸へ。
ちょっと泳いで、90秒100円のシャワーを浴び、着がえてバスに乗る。
敦賀から湖西線新快速(1時間40分ほど)で帰ってくる。
時間はかかりますけれど、交通費は3000円以下です。

柚 葉

夏休み

昨日、草の上に座ってビキニでお茶を点てていたら、散歩の人から、犬と間違えられました。
たまたまいっしょに仕事をした人が隣に立っていて、その足もとに座っていたのよね。。。
その子(21歳女子)には、「ビキニだから間違えられるんですよ!」と微妙に怒られた・・・。
仕事中は上にパーカーを着ているのでご安心を。

ひと月半(!)の夏休みまでもうちょっとです。

農園で仕事をするために、クーラーが効きすぎのバスで出勤するのは、
話がこんがらがっていておかしいから、シンプルに休むことにしました。
暑いときに無理に外仕事をしない人たちだから、すんなり理解してもらえました。

で、8月後半からウィーン。オーストリアは原発がありません。
クーラーもほとんどない。バスも気分が悪くて途中下車するほど暑い。
それでも、それでも、天井が高くて涼しいカフェや木陰を探して、本を読もうと思います。

柚 葉

赤ジソとエピキュリアン

赤ジソを塩でもんで灰汁ぬきをして、無事、梅干しの壺に入りました。
土用干しまで、梅仕事は一息。

わたしはエピキュリアンなので、自分の楽しみのためには手を抜きませんけれど、
つい最近、職場の干支が一回り年下の男子に「余裕がある人とない人では話が合わない」と言われたばかりで、
ちょっと考えています。

エピキュリアン、日本語の訳は「快楽主義者」。
でも本意はだいぶ違って、快楽を求めるのではなく、
快楽を妨げるものから逃れるのが、正しいエピキュリアンです。
快楽を妨げるものは、苦痛と不安。
よって、それらが生じないよう「慎重さ」が求められる、と書いてあります。

たとえばね、日常の小さなことでも、お漬物を漬けるのに、プラスチックの容器を使ったら、
毎回見るたびに嫌だなと小さく思うのでしょう。
だったら、「安く買えた」という快楽は、慎重に排すべきだと思うのです。
その喜びは長く続かないし、その後何年も、嫌だな、嫌いだな、と思わないといけないのです。

嫌な物でも一つのモノです。モノの存在というのは考える以上に大きくて、
生活があっという間に、そのモノが生きる環境になっていく。

おんなじことで、代用品ばっかり食べている人から見たら、
いろんなものを手作りする人は余裕がある、と思えるのかもしれませんけれど、
わたしにとっては、むしろ、「嫌なモノたちの環境に身を置くくらいなら、不便な方がまし」
という事から始めて、「ないものはない」という諦めから、慎重に、少しずつ、前に進んだ結果です。

本当は嫌いなものばっかりに囲まれている人に足りないのは、余裕ではなくて、
自分の生を脅かしうるものに対する「慎重さ」だと思う。

柚 葉
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